なし
なし

批評:日本経済新聞2008年4月8日夕刊(関西版)
関西フィル第200回定期演奏会「ワーグナー 端的で晴朗に」
−音楽評論家 小石忠男−

なし

なし
 

関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会が第二百回(3月28日、大阪のザ・シンフォニーホール)を迎え、記念に常任指揮者、飯守泰次郎がもっとも得意とするワーグナーの抜粋が組まれた。独唱者にソプラノの緑川まりとバリトンの三原剛を起用、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、歌劇「タンホイザー」「ローエングリン」、楽劇「ラインの黄金」「ワルキューレ」「神々の黄昏」から全十曲が演奏された。

正規の団員に客演奏者三十八人を加え、ハープ四人、ホルン九人という壮観。冒頭の「マイスタージンガー」前奏曲では指揮者も楽団もいささか興奮気味となり、響きが刺激的になったが、とにかく高揚する気分が凄まじい。 「夕星の歌」を歌った三原にはさらなる流暢さが欲しいが、「ローエングリン」の「エルザの夢」は、緑川が緻密な歌唱を展開、続く「第3幕への前奏曲」でオーケストラは本来の透徹した音色を取り戻した。

とはいえ、この夜は後半の「ニーベルングの指環」からの五曲が聴きものとなった。飯守は旧時代の指揮者と異なり、ワーグナーに端的な表現を求め、粘った表情や誇張はまったくない。新鮮な感受性で、大時代的な曲も晴朗に演奏した。もちろん「ラインの黄金」の「ヴァルハラ城への神々の入城」では劇性が直截に描かれ、「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」は三原と共にゆたかな感情を波立たせた。

さらに「ジークフリートの葬送行進曲」では、飯守の共感のすべてを解放したような名演を展開、緑川も「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」で切実な感情を表明した。これらはわが国でも最高水準のワーグナー演奏と評価したい。

 

 
なし
なし

ごあいさつ〜関西フィル第200回記念定期演奏会によせて
−関西フィル第200回定期演奏会(2008年3月28日)公演プログラムより転載−

なし

なし
 

関西フィルハーモニー管弦楽団の皆様、そして関西フィルを応援してくださるすべての皆様!第200回記念定期演奏会おめでとうございます。

200回といえば大変に長い道のりであり、その間には、多くの喜びと計り知れないご苦労があったものと思います。音楽という人類共通の素晴らしい遺産を通じて、オーケストラと聴衆の皆様が幸せな関係を築き積み上げてこられた結果、200回という大変重みのある節目を迎えることに、心よりお祝い申し上げます。

関西フィルは、明るく開放的なテンペラメントをそなえた大変魅力的なオーケストラです。その表現は、オーケストラとしての機能性と水準のみならず生き生きとした説得力と迫力があり、私もご一緒する機会をいつも楽しみにしています。オペラやオラトリオといった声楽作品の領域にも積極的で、さらに、新しいレパートリーにつねに挑戦するエネルギーと好奇心も、関西フィルの大きな特長だと思います。

本日、ここに常任指揮者として私がこの栄えあるお祝いの音楽会をともに分かち合えることは大きな喜びであり、大変恵まれたことと思っております。この音楽会の成功のために、私も全力を尽くします。これからも、若くエネルギッシュな首席指揮者・藤岡幸夫氏と共に、関西フィルハーモニー管弦楽団のより一層の発展に貢献したいと願っています。

飯守泰次郎

 

なし
なし

ホームページをご覧の皆様へ
東京シティ・フィル第217回定期「スターバト・マーテル」によせて
−飯守泰次郎−

なし

なし
 

 

ドヴォルジャークは私の非常に好きな作曲家の一人です。大変ロマン派的でブラームスのような重厚さがある一方で、スラヴ系の民族的な色彩と躍動感に満ちています。そしてメロディの美しさは、親友のブラームスも羨んだといわれるほどです。ドヴォルジャークといえば「新世界」交響曲、チェロ協奏曲、そしてスラヴ舞曲が有名ですが、あまり知られていない作品の中にも素晴らしいものがたくさんあるのです。今回とりあげる「スターバト・マーテル」は、その筆頭といえるでしょう。

この作品は、曲名(「嘆き悲しむ聖母」)のとおり、本当に悲しみに満ちた曲です。それにしてもこれほど悲しくも美しい音楽というのは他にあまりないのではないでしょうか。 もちろん、ドヴォルジャークが敬虔なクリスチャンだったことは、この曲が書かれた一つの理由であり、作曲家として、また信者としての動機がありました。しかしこの曲を作曲しているとき、彼は3人の子を相次いで亡くしており、個人としての悲しみが深く重ね合わされているに違いないと私は思っています。

この作品でよく出てくる、静かな上行音型。そしてごくゆっくりと下行してくるメロディーが、嘆き悲しむ心を表します。十字架にかけられ血を流して死んでゆく我が子を、見上げるマリアのまなざしが、見事に表現されています。この曲を聴いて、こんなに悲しい思いはしたくない、と感じる方もおられるのではないかとさえ思います。合唱も、ソリストも、オーケストラも、本当に深い表現力と感情移入を要求される音楽です。

この作品の美しさ、内容の深さ、キリスト教の教えの深遠に、改めて私も感動をおぼえます。演奏される機会が少ないのですが、もっともっと演奏されてしかるべき作品と考え、東京シティ・フィルの定期演奏会で取り組むことにしました。これから受難と復活の季節を迎えるこの時期に、みなさまとこの曲の素晴らしさを分かち合いたいと願っています。

 

 

オペラ公演プレビュー
飯守=東京二期会の「ワルキューレ」が還ってくる!!
〜東京二期会「ワルキューレ」公演への期待〜 横島 浩
−「音楽現代」2008年2月号より一部転載−

 
 


2/11のリハーサルにて
演出家ジョエル・ローウェル氏と
2008年早春の候、東京二期会のオペラ公演の演目は、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」だ。わが国随一のワーグナー指揮者・飯守泰次郎率いる東京フィルハーモニー交響楽団を迎えての「ワルキューレ」。そう、飯守&二期会の「ワルキューレ」が還ってくるのだ!

ドイツの中世叙事詩に基づく空想的で神秘的な内容を持つこの作品の、人物関係の複雑性と、その裏に潜む大胆かつ細やかな感情の動きを演じることは、従来わが国の演奏家では難しいとされていた。また、いつ終わるともわからない長大な無限旋律に立ち向かうだけの体力も備わっていなければならない。欧米人に頼らなければ成り立たせる術を持たなかったわが国の楽壇も、1972年に至ってついに全て日本人による初演という壮挙に立ち会うことができたのである。36年前、干支でいうとちょうど3周り前に当たるその年の日本人初演者とは、飯守泰次郎と二期会メンバーたちであった。

本格的な日本人「ワルキューレ」演奏草創期以前から、飯守は海外においての修行期にワーグナーと密接につながっている。

桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を師事してバトンテクニックを学んだ若き飯守は、1962年卒業後すぐに藤原歌劇団の公演で指揮を務めてデビュー。演目であったプッチーニの「修道女アンジェリカ」は神秘的で宗教的な内容であるが、緊迫した心理劇であり地味に音楽的な工夫が張り巡らされた作品だ。指揮者として駆け出しと言えるころから、人間心理の複雑さや神話的神秘性に取り組んでいたことは注目するに値する。

1966年には留学先のアメリカでエントリーしたミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。この時の演奏がワーグナーの孫にあたるフリーデリンド・ワーグナーから支持されてバイロイトに招かれ、音楽祭ではマスタークラスに参加。音楽祭総監督のヴォルフガング・ワーグナーの兄ヴィーラントが演出した数々の楽劇(ベーム指揮)に触れて、ワーグナー演奏の真髄を堪能。その後練習ピアニストとして、また急遽副指揮者として採用されるなど、ワーグナー演奏の現場に深く立ち入っていたのである。

その後ブレーメン歌劇場専属指揮者となり数々のワーグナー作品を含むオペラを指揮するなどの活躍をしたのち、1969年には第1回カラヤン国際指揮者コンクールで第4位入賞。翌年にはマンハイム市立歌劇場で研鑽を積み1971年には日本人初となる、バイロイト音楽祭音楽助手に就任。これ以降ほとんど毎年聖地バイロイトでワーグナー楽劇の様々な名演の数々にアシスタントとして関わっていくのである。

バイロイトで信頼を得た飯守は先に述べた日本人の手による「ワルキューレ」初演の快挙をものにしたのであるが、実は日本への凱旋帰国公演の直前に、スペインのバルセロナ歌劇場で「ワルキューレ」「さまよえるオランダ人」を指揮しており、この公演に対しバルセロナの地では「シーズン最高指揮者賞」という名誉を得ていたのである。日本公演では若き飯守は「芸術選奨文部大臣新人賞」を得た。その後の活躍はオペラにオケにと世界を飛び回った彼であるが、1976年には、あの伝説的なバイロイト音楽祭100年祭における、ブーレーズ指揮シェロー演出「リング」の音楽助手チーフをジェフリー・テイトと共に務めたのである。

これ以上飯守とワーグナーの経歴上の関わりを語ってもしょうがないであろう。その深さは語りつくせないのである。ワーグナー独自の具体的な意味を持った指導動機を対位法的に繰り広げる、その整理と性格付けの見事さはベートーヴェン交響曲などの純作品でもお馴染みであり、ワーグナー作品だけではなく幅広い作風にも順応する力も見せている。

〔中略〕

歌手は4回公演で2回の入れ替えがあるので、それぞれ飯守が歌手の思いを取り込みながら纏め上げていくのか注目。そう、2回は会場に足を運んで初めて絶頂期の飯守ワーグナーの凄さを知ることになるのだ。

 

円熟・飯守泰次郎氏のワーグナー
−東京二期会プレスリリースより転載−

 

今回の上演にあたり、特筆すべきは指揮者に飯守泰次郎氏を迎える事です。氏は、『リング』全4作品ツィクルスを成功させるなどで平成15年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、2004年紫綬褒章を受章し、わが国楽壇ではワーグナー音楽の最高の体現者として衆目の一致する所です。弊会公演でも1970年代に登場以来、諸作品で実績をあげています。東京二期会が初めて上演した『ワルキューレ』の指揮も当時新進気鋭たる飯守氏でした。現在は円熟が最高度に達し、日本中のファンが、彼がワーグナーを指揮するところ、どこへでも駆けつける現象が起きています。飯守氏の指揮で楽劇を本格上演する事は、ファンにとって大いなる朗報であるばかりでなく、時期を得た意義深いものとなるでしょう。


 

新国立劇場 地域招聘公演 関西二期会
『ナクソス島のアリアドネ』
〈2008年1月25&27日/新国立劇場中劇場〉によせて


 

指揮者ノート


一口に「オペラ」といっても、多くの作品を知れば知るほど、その幅広さと奥深さに驚かされます。多くの国々の文化と芸術が何世紀もかけて築いたオペラの歴史は、言葉と音楽と視覚を調和させた結晶です。その内容は非常に多岐にわたり、あらゆる人間の生き様の表現に及んでいます。

しかし『アリアドネ』に向かうとき、36人という小編成のオーケストラによるこの作品に、オペラの歴史と内容が見事に凝縮されていることに気がつきます。悲劇と喜劇、理想と現実、善と悪、愛と絶望・・・常識では一緒になりえない内容が不思議にも調和しているのです。さらに人生には、哲学、信仰、愛のみならず明るい笑いと茶番もまた必要です。それらすべてが融合されていることが『アリアドネ』の特別な魅力です。

台本作者ホフマンスタールは述べています。生きることは変容することであり、とどまって忘れず誠実であることは人間的尊厳と結びついているが、変容しないことは死であり、この深い矛盾の上に存在が構築されている、と。この彼の最も深い思想を、トランプ好きの天才R.シュトラウスは、アクロバット的な見事な手品のように音楽で表現し尽くしました。オペレッタの笑いと踊りの世界から、深い哲学を持ったワーグナーの楽劇に至る驚くべき内容の幅すべてが、このコンパクトな作品に盛り込まれています。私はオペラ指揮者として、R.シュトラウスのこの特殊な才能に圧倒されながらも、その表現の幅広さに挑戦し、内容に迫っていきたいと思います。

 
飯守泰次郎 
(新国立劇場『ナクソス島のアリアドネ』公演プログラムより転載)

 

OPERA interview 飯守泰次郎
−新国立劇場・情報誌「The Atre」2007年10月号より転載− 

 

三回目となる新国立劇場招聘公演は、関西二期会によるR・シュトラウス&ホフマンスタールのオペラの真骨頂「ナクソス島のアリアドネ」。ヴォルフガング・ワーグナーをして「Kapellmeister(名指揮者)と呼ぶにふさわしい」と言わしめた飯守泰次郎のもと、関西二期会の精鋭たちの名演が待ち遠しい。

 
「ナクソス島のアリアドネ」は世の中のことすべてが描かれた奇跡的な傑作  
――関西二期会の公演にはいつ頃から携わっていますか?

2000年に関西二期会から初めてお声をかけていただきました。それが、ワーグナーの「パルジファル」だったんです。「パルジファル」はワーグナーの最後の楽劇で、非常に哲学的で宗教的ですから、こういう作品を日本で上演し、指揮すること自体が僕にとって大役で、しかも関西二期会との初めての公演ですから、大分危惧したんです。けれどもソリストの方々も、事務局の方々も非常によく協力してくださって、結果は驚くくらい素晴らしいものでした。そのとき、関西二期会のオペラ団体としての力の強さ、幅の広さに感動いたしました。関西の人柄、キャラクターの強さがソリストにも表れていて、とても表現力の豊かな団体だと思います。

――今回は「ナクソス島のアリアドネ」です。作品の魅力を教えてください。

このオペラには、世の中のすべての要素が凝縮されています。悲劇と喜劇、理想と現実、善と悪、愛と絶望。人生には深い哲学、宗教と信仰、愛が必要ですけれど、それだけでは我々は生きていけない。やはり他愛ない笑いと茶番が必要なんです。それをすべて融合して表現したのが、このオペラの魅力だと思います。

作曲家が「ナクソス島のアリアドネ」を上演しようとするものの、パーティの主催者の大富豪はコメディア・デラルテ(古いイタリアの即興喜劇役者)も雇い、お笑い組とシリアス組とのせめぎ合いが起こります。こういう人間社会にあることが、実にいきいきと描かれています。

「カルメン」「椿姫」「蝶々夫人」のように絶対な人気を持つ作品ではないですが、このオペラが一番好きだという人が意外と多いのです。シュトラウスの大家であるカール・ベームもそうですし、シュトラウス自身もそうです。そして僕も大好きです。

――世の中のすべての要素を描いたオペラですか。

一番重要な描写は愛だと思います。それが、深いものから浅いものまで、すべてがこの作品に凝縮されています。愛には、動物的な愛、人間的な愛、神聖な美しい精神的な愛の三つの水準がありますが、アリアドネの愛は一番高貴な精神的な愛です。テーセウスに捨てられたアリアドネは、絶望しきって打ちひしがれて、ナクソス島の洞窟に閉じこもってしまいます。そして死神のヘルメスを待ち続けるのです。そこに現れたのが、ツィルツェの邪悪な誘惑に屈しなかったバッカスなのです。そこで二人は一番深い精神的な愛に到達するんです。

コメディア・デラルテのツェルビネッタは、アリアドネを心から救おうとしているけれども、彼女はアリアドネのような深い愛情を理解できないんです。アリアドネもツェルビネッタのように世俗的には考えられない。この二つはずっと並行線をたどります。

実はこれと似ているのがモーツァルトの「魔笛」です。ここでは愛は、モノスタトスと夜の女王、パパゲーノとパパゲーナ、タミーノとパミーナの三つの水準になっています。また、「トリスタンとイゾルデ」のイゾルデも、性格の違いこそあるものの、アリアドネと共通するところがあります。高貴な愛。我々はこれをいつも求めて生きたい。ですので、僕は、アリアドネとバッカスの愛情について、とても強調したいです。人によっては「ナクソス島のツェルビネッタ」のほうが魅力がある、と言う人もいますが、アリアドネとバッカスの愛の成就が一番強調されるべきだと思います。

――悲劇と喜劇が同居しているんですね。

そうです。そしておもしろいことに、作曲家は、物事は変容する、という台詞をしつこく言います。つまり、アリアドネは死を、バッカスは敵を期待していたのが変化していく。そして作曲家は「ナクソス島のアリアドネ」だけを書こうと思ったのに、とんでもない邪魔が入る。そうやって物事が変わるのが人生なんだということを、ものすごく強調しているんですね。このオペラを通して、邪魔や苦労を超えたところで素晴らしい作品ができる、ということもシュトラウスは言いたいんだと思います。

それからもうひとつ重要なのは、台本を書いたホフマンスタールの存在です。「ナクソス島のアリアドネ」は、ホフマンスタールの深さと、シュトラウスの天才的な上手さ、すべてを混ぜ合わせた、二人の本当の共同作品です。しかもオーケストラはたったの三十六人。それで音楽的に深いところから、おふざけのドタバタまで表現するのですから、見事としか言いようがありません。

 
刺激の元はバイロイト ベームの言葉を心に刻み 指揮活動をする  
――ところで、ヴォルフガング・ワーグナーさんが飯守さんのことを絶賛されていますが、 いつ頃から一緒に仕事をしているのですか?

1966年にバイロイトのマスタークラスに行ったのが最初で、イタリア・オペラとドイツのロマン派の楽劇の違いを徹底的に教わりました。そのとき祝祭劇場の公演や練習をたくさん見せていただきました。そのとき助手のひとりが病気になり、偶然にも僕が舞台裏のキュー出しや練習ピアノを弾くことになったんです。総監督のヴォルフガング・ワーグナーは、隠れた才能を見つけるのが得意な人なんですよ。それから三年後に再びバイロイトに応募し、今度は音楽助手を務めることになりました。ベームやヨッフム、シュタイン、ブーレーズのアシスタントをして二十年余り……、これは素晴らしい勉強になりました。

――たくさんのことを得たのでしょうね。

そうですね。バイロイト独自の厳しいやり方で、言うなれば、こき使われました。これがよかったです。1日中ステージの表裏なんでもすべてに関わりました。

ベームのアシスタントをすれば、当然一緒にお茶を飲むこともあります。そのときにこう言われたんです。「君はなかなかよくやっているけど、モーツァルトはちゃんとできるの?モーツァルトができた上でワーグナーができて初めて、立派な指揮者と言えるんだよ」。その言葉を今でもとても大切にしています。そして、バイロイトが刺激になって、イタリア・オペラやオペレッタ、古楽器の演奏も、すごく勉強しました。僕は、ワーグナーだけに惚れたわけじゃないんです。バイロイトにいろんなものが集まってくる。だからバイロイトに行った訳なのです。

――最後に、読者にメッセージを。

「ナクソス島のアリアドネ」は、こう観なきゃいけないということはありませんし、全部をほおばる必要もありません。シュトラウスとホフマンスタールが創りあげた悲劇と喜劇の奇跡的な混ぜ合わせを、ひとりひとりが好きなやり方で自由に楽しんでいただくのが、一番いいんじゃないかと思います。あまり先入観は持たず、お好きなところに注意を向けて、大いに笑って泣いてください。


 
− 当サイト掲載情報の無断転載を禁じます −
(c) Taijiro Iimori All Rights Reserved.