メッセージ:2010年7月〜9月  

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東京シティ・フィル創立35周年特別演奏会
〜ワーグナー管弦楽・合唱名曲コンサート(9/18)〜を振り返って

−飯守泰次郎−

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ティアラこうとうでのリハーサル
ティアラこうとうでのリハーサル

飯守泰次郎です。先月になりますが、東京シティ・フィル創立35周年記念特別演奏会「ワーグナー管弦楽・合唱名曲コンサート」(9/18)は、おかげさまで非常に良い演奏会となりました。改めて振り返ってご報告します。

このコンサートでは、ワーグナーの楽劇から、オーケストラのみの序曲や前奏曲などの名曲に加えて、合唱が活躍する場面の音楽を組み合わせ、ユニークでしかも祝典にふさわしいプログラムを構成しました。

誕生祝の花束をいただく
私の誕生日を祝ってくださいました

これまで “オーケストラル・オペラ”シリーズで7つの楽劇を全曲上演した経験がある東京シティ・フィルは、今回もワーグナーに取り組む意気込みと素晴らしい集中力を見せてくれました。

東京シティ・フィル・コーアは、結成以来初めてワーグナーの合唱曲に取り組みましたが、オーケストラの情熱に呼応して、実力以上の演奏をしてくれました。
まさに、合唱とオーケストラが力を合わせ、双方の気迫であのような素晴らしい力を発揮できたのだと思います。

ティアラこうとうの音響の美しさは、今までも十分に実感していることですが、今回ワーグナーのさまざまな名曲を演奏して、改めてその素晴らしさをいっそう再認識致しました。

このようなかたちでオーケストラと東京シティ・フィル・コーアの共演が実現し、しかも実際に素晴らしい演奏ができてお客様に喜んでいただけたことを、心から嬉しく思います。

バースデー・ケーキにびっくり

演奏会の終演後は、創立35周年をお祝いする打ち上げがありました。

余談になりますが、偶然に私の誕生日がその後まぢかに迫っていたということがあり、東京シティ・フィルと東京シティ・フィル・コーアの方々が大変素敵なバースデー・ケーキと花束を贈ってくださり、皆さんで祝ってくださいました。

私にとっては二重の驚きと喜びでいっぱいの演奏会となりました。







ロウソクを吹き消す
フ〜ッ!! 吹き消したロウソクは、さて何本でしょう?

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル創立35周年特別演奏会
〜ワーグナー管弦楽・合唱名曲コンサート(9/18)〜に向けて その2

−飯守泰次郎−

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リハーサル風景から
リハーサル風景から

飯守泰次郎です。東京シティ・フィル創立35周年記念特別演奏会(9/18)に向け、リハーサルもいよいよ終盤を迎えております。

ワーグナーの楽劇は、いずれも並はずれた大曲ばかりです。東京シティ・フィルの“オーケストラル・オペラ”シリーズでは、これまでに7つの楽劇の全曲上演に取り組み、皆様に高い評価をいただいてまいりました。

今回は、同じワーグナーでも全く趣向の違う演奏会です。シティ・フィル・コーアとの共演により、ワーグナーの前期・中期それぞれから、合唱が活躍する名曲をちりばめてお届けします。

これがまた、実際に並べてみるととても楽しいプログラムなのです。10曲に及ぶワーグナーの名曲の数々!こういうワーグナーの楽しみ方もある、という魅力を、お客さまにぜひ味わっていただきたく、集中して稽古に励んでおります。

緑豊かな公園に隣接し、響きが大変美しいティアラこうとうで、皆様のお越しをお待ちしております。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル創立35周年特別演奏会
〜ワーグナー管弦楽・合唱名曲コンサート(9/18)〜に向けて その1

−飯守泰次郎−

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ティアラこうとうでのリハーサル風景
ティアラこうとうでのリハーサル風景

飯守泰次郎です。間もなく9月18日、東京シティ・フィル創立35周年記念特別演奏会の本番を迎えます。コンサート当日のプログラムに寄せて以下の文章を執筆しましたので、ぜひお読みいただきたいと思います。

***

「ごあいさつ」
(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団35周年特別演奏会〜2010/9/18公演プログラムに掲載)

東京シティ・フィルと私がワーグナーの楽劇をシリーズでとりあげた最初は、今から10年前のことになります。

その時はシティ・フィル創立25周年という記念のみならず、ちょうど西暦2000年という世紀の変わり目にあたり、オーケストラとして音楽の力で世の中に何か働きかけることができるようなプログラムを組みたい、ということで『ラインの黄金』を上演したことがきっかけです。

当時は芸術的にも経済的にも無謀と思われるような企画でした。しかしその後、音楽界の各方面の方々から非常に温かいご理解と力強い応援をいただくことができ、『ニーベルングの指環』4部作、さらには『ローエングリン』『パルジファル』『トリスタンとイゾルデ』と、“オーケストラル・オペラ”シリーズの公演が実現し、シティ・フィルのワーグナー・プログラムに対する評価が定着するまでになりました。

このたびシティ・フィルの創立35周年を記念するにあたり、ワーグナーのオーケストラの名曲と合唱の名曲を組み合わせたユニークなワーグナー・プログラムを構成致しました。

ワーグナー・プログラムというもの自体、まだ多くはなく、ワーグナーの合唱曲が演奏される機会となるとさらに少ない、という現状は、ワーグナー作品を演奏することがいかに困難であるかを物語っています。幸いシティ・フィルは、これまでの10年間に非常に良い経験を積むことができています。

同じ約10年前、私たちは東京シティ・フィル・コーアという合唱団を設立し、こちらも貴重な経験を重ねて目覚ましい発展を遂げることができたので、思い切ってワーグナーの合唱曲に挑戦できる時機に達した、と判断致しました。

ワーグナーのオペラに登場する合唱曲の中でも、1曲1曲が名曲として完結しているのはほとんどが初期から中期の作品の中にあります。そこで今回の曲目は、まだオーケストラル・オペラで取り上げていない初期〜中期の『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の中から、合唱の名曲のほとんどをお聴きいただけるように致しました。

ワーグナー・プログラムといってもオーケストラと合唱だけのプログラム、とはまた無謀な、と思われる方もあるかもしれませんが、本日は東京シティ・フィル創立35周年、東京シティ・フィル・コーア設立10周年という節目に際し、シティ・フィルを応援してくださる皆様への感謝と、これからの発展を心から願って演奏致します。これをもって皆様のご期待に応えることができるならば、私たちにとってこれ以上の喜びはありません。

 
飯守泰次郎

 

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「ぐんまアマチュアオーケストラサマーフェスティバル2010」(8/15)を振り返って
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。もう1カ月前の公演になってしまいましたが、今年の真夏も群馬県太田市の「ぐんまアマチュアオーケストラ サマーフェスティバル2010」で指揮をしましたので、ご報告します。

このフェスティバルは、とてもユニークな活動をしている「おおた芸術学校」が主体となって行われており、私は音楽監督を務めて今年で11年目になります。
優秀な卒業生を輩出している「おおた芸術学校」ですが、私が指揮するBオーケストラは、今年はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」という、若い人たちにとっては非常なチャレンジとなるプログラムを演奏しました。
これまでもBオーケストラは交響曲を何度か演奏していますが、それにしてもまだあまり長く人生を生きていない若い人たちが「悲愴」という作品をどのように理解して演奏するか、私自身にとっても非常に興味のあるところでした。

そしてやはり、天才の作品と音楽の力のすごさを改めて実感し、若い皆さんが大人のオーケストラとは違っていても若いなりに音符を通して音楽の内容を理解し、非常に人の心を動かす素晴らしい演奏をしたことに驚きました。もちろん、やはり「悲愴」が名曲であることもたしかですが、太田に集まった若い人たちがそのような力を持っていたということです。

より若い年齢のAオーケストラは、今年も寺島康朗氏が指揮しました。以前はアレンジされた曲が中心でしたが、最近はオリジナルの楽曲を演奏できるようになって、今年はレハールの「金と銀」で素晴らしい演奏を聴かせました。

今年の太田市は、例年以上に大変暑い夏でしたが、演奏もそれに負けない熱さでした。「おおた芸術学校」に優れた講師の方々が多数集まって、子供たちのオーケストラを非常にうまくサポートしてきた長年の結果が実っていると思います。大人のアマチュア奏者に交じって、まだ小さい子供がヴァイオリンやチェロを弾いている姿は、とてもかわいらしいものです。

太田市について毎度申し上げている通り、大都市ではありませんが芸術・スポーツ・英語などの若い人向けの教育に特別な情熱を注いでいる成果が表れており、いつも太田市そして清水市長ご自身がしっかりバックアップしてくださることが、大変素晴らしいと改めて思いました。

 
飯守泰次郎

 

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「真夏の第九 こうとう2010」(8/7)を振り返って
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。先日8/7にティアラこうとうで、“真夏の第九 こうとう2010”と題するコンサートを指揮しましたので、皆様にご報告します。

ご存知のとおり、第九は年末に演奏するのが恒例となっていますが、別の季節に第九をやってみたい、という意見もあり、このたびティアラこうとうのイニシアティブと強い決意のもとで立ち上げられたのが、この“真夏の第九”です。

東京シティ・フィルとティアラこうとうは、2005年から開催している“ティアラ定期”のずっと以前から、長年にわたり深い関係にあります。そして“ティアラこうとう真夏の第九合唱団”は、全く新たに、区民を始めとする一般の方からの募集で結成されました。 真夏に第九を演奏する、ということが大きな特徴ですが、もうひとつの特徴として、第九の合唱はプロでない一般の人が歌うにはとても難しい曲であるのを、自然な歌い方で良い発声で歌う、ということに特別な重点を置いています。

今回は東京シティ・フィルを私が指揮し、この新しい合唱団の合唱指揮には四野見和敏さんがあたりました。四野見さんは今までも数々の公演で一緒に活動している、優秀な指揮者です。ヴォイス・トレーナーには荒井香織さんをお迎えしました。荒井さんはウィーンのアーノルド・シェーンベルク合唱団に何年も所属していらした方で、合唱の発声に特に重点を置いて指導してくださいました。結成後わずか半年ばかりの間にこれだけ良い発声で第九を歌うことができて、合唱団も努力の甲斐があったということです。今回の成功を支えた大きな要因は、この荒井さんのお力と、そしてティアラこうとうの素晴らしい音響にあったと思います。

ソリストも増田のり子さん、小山由美さん、福井敬さん、福島明也さん、と夢のような4人の方々を揃ってお迎えでき、東京シティ・フィルも大変熱の入った演奏をしてくれました。

第九を何回も何回も演奏していると、どうしても新鮮味を失う危険が出てきますが、全く違う真夏の季節にあえて持ってくることが功を奏して緊張が高まり、第九を演奏するということの意味が非常に肯定的に感じられるようです。ティアラこうとうの満員の聴衆も、そのことを証明しています。

最初の公演がこれだけ素晴らしい成果を収めたので、この合唱団の実力を生かしてたとえば冬には第九以外の作品にも取り組み真夏にはまた第九を歌う、というようにこの“真夏の第九”が定着していくことを、私も願ってやみません。

 
飯守泰次郎

 

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関西フィル いずみホールシリーズVol.20 (8/5) The Discovery 20世紀の巨匠たち
〜奇跡のピアニスト舘野泉が奏でるブリテン&飯守泰次郎のブラームス〜によせて
−飯守泰次郎−

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レコーディング風景
ブラームス交響曲全集レコーディング風景(2009年春)

飯守泰次郎です。関西フィルとのいずみホール“The Discovery”の今回のコンサートは、とても思い切ったプログラムです。全く違った傾向の曲の組み合わせでお聴きいただきます。

コンサートの後半に演奏する、ブラームスの交響曲第2番は、響きの美しいいずみホールで演奏できて非常に嬉しく思います。
関西フィルとは、つい先日にブラームスの交響曲全集CDを発表したばかりで、オーケストラもブラームスの音楽に浸りその世界に集中できていて、大変良い時期だと思います。 このCDは、昨年と今年の春の2回に分けていずみホールでレコーディングしたものです。
今回もいずみホールで、素晴らしい演奏ができると期待しています。

舘野泉さんをお迎えするブリテンの「ディヴァージョンズ」は、左手のためのピアノ協奏曲です。
泉さんはこの夏、フィンランドで夏休みを過ごされるはずだったのですが、この曲をお願いしたところ、ぜひ演奏したいとおっしゃって、日本に来てくださいました。共演できることになり、私にとっても大きな喜びです。
この作品は、調性の面でもハーモニー感があり、また構造も“テーマと変奏”という形なので、とてもはっきりして理解しやすく、聴きやすい曲です。そして非常に力強い音楽です。
めったに聴く機会がない作品ですが、聴衆の皆さまにもきっと気に入っていただけると思います。

レコーディング風景
ブラームス交響曲全集レコーディング風景(2009年春)

コンサートの最初は、武満徹「弦楽のためのレクイエム」を演奏します。
この曲は、今や名曲中の名曲となっています。武満さんの若い頃の作品で、私の想像ではおそらく若い作曲家が本能的なインスピレーションでごく自然に、本人も不思議に思うほど短時間のうちに出来上がったような気がします。
この曲は、私も何度も演奏していますが、これほど自然に心打たれる現代のレクイエムは珍しいのではないかと思います。

このプログラムで、ロマン派と近現代、あるいはイギリスとドイツと日本、という全く傾向の違う曲をそれぞれ立派に演奏する関西フィルの素晴らしい能力が発揮されることと思います。ぜひ、いずみホールでお会いしましょう。

 
飯守泰次郎

 

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関西フィル第222回定期(7/31)
『トリスタンとイゾルデ』第2幕(演奏会形式)に向けて
〜その4“おお 夜のとばりよ 下りてこい”

−飯守泰次郎−

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『トリスタンとイゾルデ』第2幕における登場人物の動きは、シンプルです。

夜、トリスタンとの密会を待ちわびるイゾルデ。侍女ブランゲーネは必死で密会を止めようと歌いますが、気高くわがままな王妃イゾルデは、危険に気付いていません。
トリスタンが現れ、音楽は最初のクライマックスを迎えます。そして二人が「昼と夜」に関して思いを歌う有名な愛の二重唱。愛の世界は夜、そして愛を欺くこの世のすべては昼、と歌われます。

音楽が静まり、二人が結ばれ、そして「おお 夜のとばりよ 下りてこい」という、最も美しい静かな二重唱となります。
音楽が2度目の頂点を迎えると同時に、マルケ王と家来たちが踏み込んできます。その足音を表すきわめて粗野な音楽は、美しい愛の二重唱に対して驚くべきコントラストをなしています。
マルケ王が嘆きを歌い、バスクラリネットが活躍して、深く心を打ちます。

ソリスト合わせ〜右端より竹田昌弘さん(トリスタン)、畑田弘美さん(イゾルデ)、左端が橘茂さん(クルヴェナール)
ソリスト合わせ〜右端より竹田昌弘さん(トリスタン)、畑田弘美さん(イゾルデ)、左端が橘茂さん(クルヴェナール)

おもなソリストの方々は、イゾルデの畑田弘美さん、トリスタンの竹田昌弘さん、マルケ王の木川田澄さん、ブランゲーネの福原寿美枝さんです。
これまでも数多くのオペラでご一緒している、絶大の信頼を置いている方々です。 今回いよいよこの難曲に取り組むことになりましたが、今まで共有してきた積み重ねがあるので、舞台上演より短い準備期間であっても理解しあえることを嬉しく思います。

この作品のソリストを楽々と務められた人は歴史上一人の例もなく、その負担は大変なものですが、難しさと同時にこの内容を表現することに大きなやりがいと喜びを感じてくださっています。暑さにもめげず、大変な集中力とエネルギーを注いでくださって嬉しく思います。

関西フィルも、これまで10作品のオペラのシリーズの成果を着実に示して、『トリスタンとイゾルデ』の音楽の特徴的な作られ方に非常に敏感に反応してくれています。

音楽的にも文化的にも、ここまで徹底的に人間の愛を掘り下げ、しかも感動を呼ぶ作品は他にないと言ってよいでしょう。ザ・シンフォニーホールでお待ちしています。

 
飯守泰次郎
 

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関西フィル第222回定期(7/31)
『トリスタンとイゾルデ』第2幕(演奏会形式)に向けて
〜その3“内面的な音楽を表現する作曲技法〜無限旋律と半音階”

−飯守泰次郎−

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『トリスタンとイゾルデ』の音楽的表現の大きな特徴のもうひとつは、無限旋律といわれる手法です。ひとつの旋律が終わる、ということがなく、ドラマの中でつねに次の旋律へと発展していきます。
しかも半音階が徹底的に使用されているので、調性が不安定な感じがします。この作品によってワーグナーが「調性を破壊した」とか「調性の崩壊」ということがよく言われますが、私はそうではなくむしろ、フルトヴェングラーが指摘しているようにワーグナーは調性を徹底的に使いこなしたのだと考えています。

ソリスト合わせ〜木川田澄さん(マルケ王)と
ソリスト合わせ〜木川田澄さん(マルケ王)と

これらの作曲技術と、ワーグナー自身の台本によるテキスト(歌詞)が、恐るべき天才の力により最高度に巧妙に融合されているのです。

前にも述べたとおり、ワーグナーの音楽はどうも好きになれないという場合はあるとしても、この『トリスタンとイゾルデ』の音楽がドラマを描く力は紛れもなく音楽の歴史を変えたことは、否定できないと思います。

この作品は音楽史における大変な改革であるのみならず、西洋の文学の世界にも衝撃と大きな影響を与えました。特に、ショウーペンハウアーの哲学との関連がよく指摘されます。

この偉大な作品の中でも、今回演奏する第2幕は、まさにこの作品の中核部にあたります。第2幕は一夜のできごとを描いており、中でも二人の愛の二重唱は約1時間かかる長大さです。もしイタリアオペラならば、愛し合う二人が登場して「あなたを愛している」と言って抱き合う1つのアリア、あるいは二重唱で終わるところを、幕全体で2時間近くもかかるのは、たしかにしんどいと感じることもあるかもしれません。

ただ、この第2幕には、愛と愛欲についての、人間の生理的な面から崇高な面に至るすべてが徹底的に凝縮されているのです。

(その4 に続く)

 
飯守泰次郎
 

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関西フィル第222回定期(7/31)
『トリスタンとイゾルデ』第2幕(演奏会形式)に向けて
〜その2“内面的な音楽を表現する作曲技法・示導動機”

−飯守泰次郎−

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『トリスタンとイゾルデ』の物語は、中世の詩人シュトラスブルクの作品をもとにしていますが、ワーグナーの書いた台本がいかに物語を単純化し内容を絞り込んでいるか、驚くべきものがあります。
台本に指示されている舞台上の動きも極端に少なく、舞台装置もごく限られています。それだけに、音楽の表現がいっそう際立つのです。

ソリストとオーケストラの合わせ稽古
ソリストとオーケストラの合わせ稽古〜右上は木川田澄さん(マルケ王)

『トリスタンとイゾルデ』の音楽的表現の一番の特徴は、愛、すなわち人間の内面の世界を掘り下げるために、いくつかの大変驚くべき作曲技術が使われていることです。

そのひとつは、示導動機が徹底して使われていることです。示導動機という言葉は、ワーグナー自身による言葉ではなく、彼は「案内役としてのテーマ」という言い方をしていますが、ワーグナーのひとつの作品の中で繰り返し用いられる音楽的テーマのことです。

示導動機が表現するのは、人間の性格、心情、愛あるいは死といった抽象的な感情あるいは精神的な内容や、剣、指環、白鳥などの具体的な事物を示すこともあります。あらゆる形のあるもの、ないものを表現して、しかも物語につれて発展したり変化していく、それが示導動機であり、その表現力があまりに見事なので、後世の専門家が様々な分析をして各動機に名前をつけたりしています。

ワーグナーは、これ以前の作品でもすでに示導動機を用いていますが、『トリスタンとイゾルデ』では網の目のように張りめぐらされ、徹底的に使われて、登場人物の心情や物語の展開を見事に表現しているのです。
(その3 に続く)

 
飯守泰次郎
 

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関西フィル第222回定期(7/31)
『トリスタンとイゾルデ』第2幕(演奏会形式)に向けて〜その1
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。関西フィルとの演奏会形式オペラ上演シリーズは、1998年のモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』に始まりました。記念すべき第10回を迎えることができた今回(7/31)は、『トリスタンとイゾルデ』第2幕全曲に挑戦いたします。

改めて振り返るならば、ドイツ・ロマン派オペラの流れを中心に:

1998年 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』
2001年 モーツァルト『魔笛』
2002年 ベートーヴェン『フィデリオ』
2004年 ウェーバー『魔弾の射手』
2005年 R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』
2006年 バルトーク『青ひげ公の城』
2007年 ツェムリンスキー『フィレンツェの悲劇』
2009年 ワーグナー『ワルキューレ』(第1幕全曲)
2010年 ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』(第2幕全曲)

と、10年以上かけて積み重ねてきたことになります。

関西フィルとのリハーサル
関西フィルとのリハーサル

それにしても、ワーグナーは、演奏する側も聴く側も、大変なエネルギーを必要とします。
ワーグナーの音楽の持つ強い表現力については、ここで説明するまでもないほどです。この表現力ゆえに、心酔する人と、どうしても受け入れられないという人に、かなりはっき り分かれることが、ワーグナーの音楽の特徴だと思います。
すなわち、プロ・ワーグナー(ワーグナー肯定派)とアンチ・ワーグナーとの間には、彼の存命中からすでに大きな闘いがあり、それが今日まで続いているように思われるのです。

にもかかわらず、『トリスタンとイゾルデ』ほど、人間の愛をすべて表現し尽くした作品は他にないと断言できると思います。 ワーグナーの例にもれず、この作品も正味4時間弱という長大な音楽です。マティルデ・ウェーゼンドンクとの成就しない愛を経て生まれたこの作品は、もともとワーグナー自身は、「自分が愛というものに恵まれなかったために、ここに一つの愛の記念碑として残せる作品を」と考えて作曲を始めました。ところが、「自分の手を離れて作品自身が成長し始め、止めることができなくな」り、ついに4時間近くに及ぶ大作に発展したのです。

(その2 に続く)

 
飯守泰次郎
 

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東京シティ・フィル ベートーヴェン全交響曲シリーズ
リハーサルだより(4)
〜シリーズ第2回(7/15)交響曲第8番/第6番に向けて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。東京シティ・フィルのベートーヴェン全交響曲シリーズ第2回(7/15)の本番を控え、リハーサルを重ねる毎日です。

交響曲第6番「田園」は、いわゆる名曲であり、私自身もこの曲に癒されてきた1人ではありますが、今回マルケヴィチ版の洞察に触れ、この作品に対するマルケヴィチの読みがいかに深いか、感動しました。

ベートーヴェンの他の交響曲に比べても、第6番は内容がより深く豊かです。第6番は、ベートーヴェンの交響曲すべてが当然そなえているスケールの大きさをさらに超える、音楽の最高峰です。
そのことを私は、マルケヴィチ版の色々な意見と解釈によって、今回初めて今までにないほどに深く広々と感じるようになりました。
このマルケヴィチ版の解釈を明日ほんとうに演奏で実現できるのか、怖いような気がするほどです。

交響曲第8番についてはマルケヴィチも発言している通り、もっと演奏されて良い曲です。
ベートーヴェンというとどうも悲劇的、あるいは戦い、といった側面が強調されすぎる傾向があります。交響曲第8番は、それとは正反対の、肯定的で天真爛漫、健康的というような面においても、いかにベートーヴェンが真に天才であったかを示しています。
すこやかで、精神的な躍動感と活気に溢れ、ユーモアをそなえたこの作品を、今回マルケヴィチ版により一段深く理解できるようになりました。その内容に演奏会本番でどこまで肉迫できるか、恐ろしいと同時に自分も大変楽しみでもあります。

皆様!ぜひ、オペラシティでお目にかかりましょう。

 
飯守泰次郎
 

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東京シティ・フィル ベートーヴェン全交響曲シリーズ第2回(7/15)を迎えるにあたって
マルケヴィチ版の背景と意義
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。東京シティ・フィル創立35周年記念ベートーヴェン交響曲全曲シリーズは7月14日に第2回(交響曲第8番/第6番)を迎えます。
コンサート当日のプログラムに寄せて、今回は特にマルケヴィチ版の背景と意義について掘り下げた文章を執筆しましたので、ホームページをご覧くださる皆様にもお届けしたいと思います。

***

「マルケヴィチ版の背景と意義」
(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第241回定期演奏会〜2010/7/15開催公演プログラムに掲載)

当シリーズの第1回(5月31日/交響曲第4番・第7番)は、おかげさまで非常に多くのお客様から熱い拍手と大変なご好評をいただくことができました。ご来場、ご支援くださった皆様に改めて御礼を申し上げます。
今回のシリーズで私がI.マルケヴィチ版の使用を選択した意図について、シリーズ第1回当日のプログラムのほか、岩野裕一氏にナビゲートしていただいたプレトークでもお話しいたしました。本日、シリーズ第2回を迎えるにあたり、若干の重複もありますが、改めて皆様にマルケヴィチ版の価値についてお伝えしたいと思います。

演奏スタイルの問題は他の作曲家にもありますが、ベートーベンの交響曲に関してはその違いが非常に大きくなってきているのが現状です。作曲当時の状況に忠実であろうとする古楽器的アプローチに対し、歴史的に発展してきた伝統にもとづく演奏スタイルでは、ベートーヴェンがその人間性、哲学、音楽において改革者であった、ということに着目します。

ベートーヴェンは革命的な新しいエネルギーで音楽史の向きを変え、新しい時代を切り拓いた人物で、高い理想を持っていました。その後の楽器の改良の歴史を鑑みれば、作曲当時のベートーヴェンの表現には制約が課されていた、ということを、歴史的な演奏伝統にもとづくアプローチでは重点をおいて考慮します。たとえばワーグナーも、ベートーヴェンの交響曲の演奏のしかたについて助言を残し、またマーラーも、様々な方法を試みました。

そして、往年の名指揮者ワインガルトナーが自著『ある指揮者の提言』で述べた演奏上の助言を多くの指揮者たちが採り入れたことにより、この重厚でいわばドイツ的な演奏傾向は明らかになりました。クレンペラー、メンゲルベルク、ワルター、トスカニーニ、ニキシュ、シューリヒト、エーリヒ・クライバー……そして、行き着いたのがフルトヴェングラーです。

こうした巨匠の時代は20世紀半ばまで続きました。一方、古楽器によるアプローチが台頭するのが1970年代後半であり、マルケヴィチが活動した時期は、まさに演奏伝統の流れが分かれていく直前だったのです。

マルケヴィチはウクライナのキエフに生まれ、スイスで育ち、パリで音楽を勉強し、アムステルダム・コンセルトヘボウを指揮してデビューしました。
その後、指揮者としてめざましい活躍をする中、欧米各地の主要なオーケストラで、往年の巨匠指揮者の残した楽譜に接するうち、その違いが次第に拡大していることに気付きます。個性を強調するあまり誇張に走ったり、ベートーヴェンの本質から離れていくことに、彼は危機感を抱きました。
このまま放置すればベートーヴェンの音楽を正しく継承して演奏の歴史を作り上げていくことができなくなる、という強い責任感のもと、客観的で体系的な1つのベートーヴェン像をどうしても打ち立てなければならない、という驚くべき決心により、全交響曲のマルケヴィチ版を完成する偉業を成し遂げたのです。

マルケヴィチは、ベルリン・フィル、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、シュターツカペレ・ドレスデン、コンセルトヘボウ、ラムルー管、パリ管、ウィーン・フィル、シンフォニー・オブ・ジ・エア、ロンドン響、フィルハーモニア管…等々、自分の指揮するオーケストラでライブラリアンから膨大な資料を集め、コンサートマスターたちと議論を重ねました。
のみならず、ベルリンやボンの国立図書館、ウィーン楽友協会のライブラリーなど、考えうる限りの楽譜と資料を実際に検討したのです。

重要なことは、マルケヴィチ版は彼個人の主張ではない、ということです。 ベートーヴェンの音楽的発想を尊重しながら、名指揮者たちの良いところを取り出し、いくつかの可能性と推奨を示す、というこの客観性が、マルケヴィチ版に高い価値をもたらしています。
これは、彼がコスモポリタン的な環境で育ち活動したこと、指揮者、作曲家として豊富なキャリアを持っていたことの賜物です。
そして最後には演奏家自身が判断するという自由さが、マルケヴィチ版の最大の魅力なのです。
 
飯守泰次郎
 

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東京シティ・フィル ベートーヴェン全交響曲シリーズ
〜シリーズ第2回(7/15)交響曲第8番/第6番に向けて
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。東京シティ・フィルのベートーヴェン全交響曲シリーズ第1回(5/31)は、皆様に支えられて、思った以上の成果を収めることができました。ホームページをご覧くださっている皆様にも改めて御礼を申し上げます。

客席にぎっしりといらしてくださった多くのお客様の大きな期待を感じて、私もオーケストラも大変励まされました。欧米の一流演奏家を聴き慣れている評論家やジャーナリストの方々からお褒めをいただいたことに、驚いております。
皆様から心のこもった盛大な拍手をいただき、次回以降さらに良い演奏をしたいという思いを強く致しました。

以前2000年に全交響曲シリーズを行ったときは、校訂全集が完結したばかりだったベーレンライター版を使用しましたが、今回のシリーズではマルケヴィチ版を選んでいます。
ベートーヴェンの交響曲については、さまざまな出版社から楽譜が出ているといっても、たとえばブルックナーのようにある楽章全体が版によって全く違う曲になっているとか曲の一部がカットされているというような、びっくりするほど大きな違いがあるわけではありません。
ただ、フレージング、音の長さ、強弱などの細部において、楽譜によってさまざまな違いがあるということです。

ベーレンライター版は200年前の作曲当時の状況や演奏習慣を尊重するという考えにもとづいていましたので、10年前の全交響曲シリーズでは、作曲当時の響きに近づけるという喜びをはっきりと感じることができ、ライヴ録音CDも高い評価をいただき、本当に挑戦してよかったと思っています。

しかし、ベートーヴェンの革命的な改革精神という観点から改めて彼の作品に光を当てるならば、また違った角度からアプローチすることができるのではないか、と熟考を重ねた結果、行き着いたのが今回のマルケヴィチ版です。

終演後のサイン会の様子
終演後はコンサートマスター戸澤哲夫さんと一緒にサイン会
〜新発売CD「英雄の生涯」を買ってくださった皆様と交流

コンサートの開演前に、岩野裕一さんとのプレトークでもお話しした通り、マルケヴィチは世界的な大指揮者で、たびたび来日もしました。
ストラヴィンスキー等のロシア音楽、フランス音楽の名演で知られていますが、一方で彼は一生を賭けてベートーヴェンを深く研究していたのです。意外に知られていませんが、彼はベートーヴェンやブラームスなど、いわゆるクラシック音楽の中心的なレパートリーでも数々の名演を残しているのです。

指揮者として欧米の名門オーケストラを数多く指揮した彼の校訂版は、研究者とは異なる、驚くべき厖大な演奏現場の経験と資料を踏まえています。そして、最終的には有機的で良心的な演奏者の判断にゆだねているという点では、ベーレンライター版のジョナサン・デルマールの態度とも一致するのです。

先日演奏した交響曲第7番を例にとれば、第2楽章アレグレットの弦楽器による有名な主題を、一般的にはダウン・ボウ(下げ弓)で弾き始めますが、マルケヴィチ版にはアップ・ボウ(上げ弓)が記載されています。
弾き慣れないやりかたになりますが、弾き始めを変えることでフレーズの表現も変わります。
あの楽章は、不屈といわれるベートーヴェンの中にある無念、諦めの精神を表しており、永遠に続いていく一種の葬送行進曲だと、私は考えており、それの表現できるひとつの方法としてマルケヴィチの記載したボウイングを採用して演奏しました。

このように、ベートーヴェンの交響曲における版の違いというのは、実際には一瞬で通り過ぎる音の細部の表現の違いであり、私たちはそこに心血を注いで表現を創り上げます。
オーケストラのメンバーも、最初のうちは何の意図か理解しづらいところもあったと思いますが、東京シティ・フィルのメンバーは興味を持って一緒に取り組んでくれました。シリーズ第1回の本番を終えて、これはやっていて面白い、と感じている人が多いようなので、大変嬉しく思います。
もちろん一般の聴衆の皆様に細かく注意して聴いていただく必要はなく、全体を聴いていただければと思います。 次回は7月15日に第8番、第6番を演奏します。皆様のお越しを心からお待ちしております。

 
飯守泰次郎
 
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