メッセージ:2008年10月〜12月
     

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ホームページをご覧の皆様へ
クロチャン近況
〜2008年の年の瀬によせて〜
−飯守泰次郎−

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クロチャンと

ホームページの今年の締めくくりに、また親馬鹿ならぬ猫馬鹿なお話で申し訳ありません。

クロチャンを保護(捕獲)して半年が経ちました。すっかり衰弱して寝てばかりいたクロチャンが、今はノコノコ歩くことが多くなりました。クロチャンが歩く、ということ自体が私たちには喜びです。お腹がすいたら自分から出てくるようになり、体重もだいぶ増えました。
ホームページをご覧になった方から「クロチャンは元気ですか」とお気遣いいただいたり、猫用の贈り物をいただいたりしてクロチャンを応援していただき、感謝しております。

このクロチャン(年齢不詳、推定10数歳)が、青山墓地のあの過酷な環境で生き長らえてきたのは、奇跡としか思えません。
あれから腎臓の薬と便秘の薬を飲み、ちゃんとトイレも覚え、私たちが家に帰れば迎えに出るまでになったのです。
ここまで健康を回復し、人間に馴れ、この冬を乗り越えることができそうな様子を見ると、いわば強制収容ではありましたが家に連れてきたのは正解だったと思います。
ただ、あのお墓で私たちと同じようにクロチャンと会うのを楽しみにしていた方がもし他にもいらっしゃったとしたら、その方々が悲しんでおられるかもしれないと思うと申し訳ない気持ちがいたします。

何とも不思議なのは、お墓で育ったような猫は警戒心が大変強いのに、クロチャンは大変な甘えん坊であることです。スリスリ(頭を押しつけて擦り寄ってくる)してくるのが大好きで、いくら可愛がっても終わることがありません。
猫というものは普通、ある程度相手をすればプイッといなくなってしまうものですが、クロチャンはいつまでも終わりません。こちらが忙しければ忙しいほどすり寄って頭を押しつけてきます。そして手を出せば手を、顔を出せば顔をぺロッと舐めてくれます。

とにかく大変愛情豊かな猫で、私もあの子といると心が温かくなり、こちらの気持ちが洗われるような気がします。
猫に限らずペットはみな甘えん坊ではありますが、クロチャンくらい愛をふりまく猫はなかなかいないのではないかと思います。
これだけ愛情豊かであるところをみると、昔はどこかでさぞ可愛がられていたのだろうとも思いますが、不思議なことにクロチャンは抱かれるのには慣れていないようで、抱き上げると足がキューと突っ張ってしまいます。布団にもぐりこんでくることもありません。すり寄ってくることが、クロチャンの愛の表現のようです。

猫の写真その2

過酷なところで育ち、誰に抱かれることもなくても、愛情を持ち続けていたクロチャン。この子を見ていると、愛情とはすなわち生きる力なのだと思います。奇跡的に回復したこの子の生命力は、まさに愛の力です。
私の家ではクロチャンのまたの名を「肯定思考ネコ」と呼んでおり、おそらく墓地の過酷な生活もその肯定思考で生き抜いてきたのではないかとさえ思います。

昨今のさまざまな世相を見ておりますと、いま世の中ではいっそう「愛」が大切である、と思わずにはいられません。来年の世の中に愛あることを願っております。

この1年、私の新しいホームページを応援してくださりありがとうございました。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

 
飯守泰次郎

 

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音楽の息吹〜群馬県太田市の夏と冬〜

−飯守泰次郎−

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デュメイ氏と
「メサイア」リハーサル風景

飯守泰次郎です。私はかれこれ10年ほど前より、群馬県太田市より招かれ、夏に開催される「ぐんまアマチュアオーケストラ サマーフェスティバル」の音楽監督を務めています。

太田市は発想に自由さがある自治体で、若い人のためのスポーツや芸術にも大変に力を入れています。清水市長ご自身が校長を務める「おおた芸術学校」という市独自の教育機関では、子どもたちがオーケストラ・合唱・演劇を学んでおり、非常にユニークな教育が行われています。

おおた芸術学校の子どもたちやさまざまなアマチュアの音楽家が演奏する夏のフェスティバルとともに、例年冬には、おおた芸術学校で活動する大人の音楽愛好家たちによるおおた混声合唱団との演奏会も指揮しています。「カルミナ・ブラーナ」、モーツァルト「レクイエム」などに続き、この冬は「メサイア」に取り組んでおり、先日も太田を訪れて集中したリハーサルを行ってきたところです。

大都市ではない地方都市で、このようなクリエイティヴな、しかも若い人たちのための機関があることは非常にユニークで、いまの日本に特に欠けている大切な部分を担っているように思われます。
ヨーロッパや、ロシアをはじめとするスラヴ系の国々では、地方にこそ音楽の息吹が浸透しています。日本ではどうも大都市でないと、音楽的、創造的な雰囲気に接するのがむずかしいという傾向があります。もちろん昨今は地方でもフェスティバルなどのさまざまな行事が行われていますが、太田市のように根本的に教育を見据え、しかもコンクールや専門的キャリアのみを目指すのではなく本当に音楽を愛する自由な雰囲気で教育が行われているのは、ごく稀ではないでしょうか。

この意義深い場をさらに活気ある雰囲気に盛り上げていきたい、と私も願っております。

 
飯守泰次郎

 

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第43回大阪市市民表彰(文化功労部門)をいただくにあたって

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。このたび、思いがけず第43回大阪市市民表彰(文化功労部門)をいただくことになりました。

関西フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任した2001年以降、以前にもまして大阪で過ごす時間は長くなっておりますが、このような表彰をいただけることになり大変驚き、かつ嬉しく思っております。今後も関西フィルハーモニー管弦楽団とともに、大阪の皆様に豊かなオーケストラの音楽をお楽しみいただけますよう精進してまいります。
このたびの表彰の内容を、以下のとおり、
ホームページをご覧のみなさまにお伝えします。

「大阪市市民表彰の概要:
市民表彰は、大阪市表彰規則に基づき、昭和41年にその基準を定め、毎年1回実施している。表彰は、公益の増進、産業の振興、学術、文化の向上などに貢献し、顕著な功績のあった方、又は市民の模範となるすぐれた善行のあった方を広く市民に顕彰することを目的としている。 」

「表彰理由:
飯守泰次郎〜
関西フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として活躍し、堅実で表現豊かな音楽を常に提供するとともに、積極的に関西の若手演奏家を登用し、指導育成に力を注ぐなど、音楽文化の振興と発展に貢献した。」

飯守泰次郎

 

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群馬交響楽団第450回定期演奏会によせて

−飯守泰次郎−

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みなさんこんにちは、飯守泰次郎です。群馬交響楽団の定期演奏会(11/22)に向け、連日リハーサルをしております。

群馬交響楽団とはもう長い間ずっと、1〜2年に1回くらいのペースで定期的にお付き合いさせていただいています。
今回、久しぶりにチャイコフスキーの第5交響曲を指揮できるのは非常に嬉しいことです。昨今、この作品はいわゆる名曲として演奏される機会も多いのですが、私が指揮するときは非常にのめり込みます。ロシアの民族の運命、歴史、情熱、絶望などがひしひしと感じられ、私自身もどこか異常心理状態のようになります。
この曲だけではなく、チャイコフスキーをはじめとするロシアの音楽をするときは、しばしばそういう気持ちになります。

いつも素晴らしい演奏をする群響で今回この作品を指揮することができ、私も大変期待をふくらませているのです。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第223回定期「マーラー 交響曲第9番」によせて

−飯守泰次郎−

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みなさんこんにちは、飯守泰次郎です。11月の東京シティ・フィル定期では、マーラーの完成された交響曲としては生涯最後のものである第9番を演奏します。この難曲に、いま覚悟をきめて取りかかっております。

この後に第10番のアダージョが作曲されていますが、やはりこの第9番こそは、マーラーが作曲家としての生命のすべてを賭けた交響曲であり、ここに彼のすべてが入っているのです。

この作品は、悲しみと諦め、そして別れという要素が非常に際立っています。もちろん、オーストリアの民族音楽にあるような突然の歓呼もありますが、それが絶望の極致と交錯しています。 “表情豊かに”という指示がある一方で、“無表情に”という指示も少なくありません。
第9番の前の作品「大地の歌」は友人との別れであるのに対し、この第9番は愛するすべての者との別れなのです。

この作品は、表現、技術、オーケストレーションのすべてが熟練の極限まで到達しており、これを演奏するのはただごとではありません。
さらに内容においても、この、悲劇を超えた、マーラーにしかない悲劇を音にするのは、極端に難しい要求です。故・山田一雄先生の本に「マーラーを指揮するごとに髪が白くなる」ということが書いてありましたが、たしかにそうかもしれないという気がしております。

この作品を徹底的に理解しようとすれば、おそらく様々な議論があることでしょう。これ以上いま私が申し上げることはありません。オーケストラと私がマーラーに取り憑かれ、渾身の努力をもって臨む演奏を、ぜひ聴きにいらしていただきますよう願っております。

飯守泰次郎

 

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オーギュスタン・デュメイ氏との共演を終えて

−飯守泰次郎−

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デュメイ氏と
オーギュスタン・デュメイ氏と

この写真は、関西フィルの第206回定期演奏会(2008/10/8)の終演後、ザ・シンフォニーホールの楽屋口で、ソリストのオーギュスタン・デュメイ氏と一緒にサインをしているところです。
デュメイ氏はふだんはメガネをかけませんので、ずいぶん印象が変わるものですね。朝日新聞の記事の写真をご覧になったかたはお気づきかと思いますが、彼は、指揮台の上の私よりもさらに背が高いので、普段はいつも見上げて話をすることになります。こうして隣同士に座って初めて、同じ高さで話ができました。

彼とは、今回、1度コンサートで共演しただけですっかり友だちになりました。もちろん、私は特に気が合ったということもありますが、きっと誰もが彼を好きになってしまう、そういう気さくな人柄の持ち主です。一般にいわれるフランス人のイメージとは異なり、パーソナルに温かく、人なつこいのです。

彼は、ともに音楽をする相手をとても大切にします。もちろん、リハーサルの時には、微に入り細に入り、妥協することなく厳しく熱心に音楽的に追及していきますが、本番の演奏となると練習のときとは全く違います。演奏後も、本当に朗らかで、心から満足しているという様子が溢れていて、そこにも、彼のミュージシャン・シップの深さとスケールの大きさが窺われるのです。

 
飯守泰次郎

 

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関西フィル第206回定期演奏会(2008/10/8)によせて

−飯守泰次郎−

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デュメイ氏を迎えてリハーサル
デュメイ氏を迎えてリハーサル

みなさんこんにちは、飯守泰次郎です。10月の関西フィル定期では、9月に関西フィルの首席客演指揮者に就任したばかりのオーギュスタン・デュメイ氏に、早速ヴァイオリン独奏で登場していただきます。
このたびのデュメイ氏の就任は、関西フィルにとっても聴衆にとっても、きっと大変素晴らしい結果を生むことでしょう!私も、この第206回定期で彼と共演できることを、心から楽しみにしております。

デュメイ氏を独奏に迎える1曲目は、ラヴェルの『ツィガーヌ』。ツィガーヌとはすなわちドイツ語でいえばツィゴイナー(“ツィゴイネル・ワイゼン”のツィゴイネルと同じ)という意味で、ジプシーの強いテンペラメントと超絶技巧が一体となった、ラヴェルとしては異色の作品です。

デュメイ氏と打ち合わせ
デュメイ氏と打ち合わせ

うってかわってもう1曲はショーソン『詩曲』。題名からもご想像いただけると思いますが、これほど神秘的な曲はなかなかないのではないか、と思います。静かで美しく、あるいは秘められた情熱というべきか、この音楽の魅力を言葉でお伝えすることはとても難しいことです。私が最も愛する、ヴァイオリンとオーケストラのための作品のひとつなのです。

この2曲は極めて対照的な作品といえるでしょう。 デュメイ氏は、プロフィール写真で見ると少々こわもての印象があるかもしれませんが、実際にはいつもほほえみを絶やすことのない、とても柔和な人柄の持ち主です。その一方で音楽的には非常に強い個性を持っておられるので、この2曲をともに演奏できることは、私にとっても大きな喜びです。

ご紹介が逆になりましたが、コンサートの最初に、ヴァイオリン独奏の2曲の前に演奏するシャブリエ『ポーランドの祭り〜歌劇“いやいやながらの王様”より』は、“いやいやながら”の名とは裏腹に、心おどるエネルギーに満ちた、ポーランドのお祭りを彷彿とさせる名曲です。

そしていよいよ、大澤壽人(1907-1953) 『交響曲第2番』を演奏いたします。関西フィルと共に大澤作品の再演に取り組み始めて3年が経ち、今回で4曲目となります。
今までも繰り返し申し上げてきていることですが、20世紀の前半にこれほど先鋭的で敏感な才能を持った存在が日本に現われたのは、奇跡といえます。何回も彼の作品に取り組むうちに、私も彼の個性ががますます身近になったという実感をもっております。

『交響曲第2番』は、彼がアメリカで学んだのちにパリに渡り、勉強を続けていたころの作品で、パリで初演されて大きな反響を呼びました。

大澤壽人
大澤壽人 (1932/ 写真提供:
大澤壽文氏)

20世紀初めのパリは最もインターナショナルな都市であり、この作品は彼の生きた時代背景を色濃く反映しています。 ヨーロッパ、ロシア、あるいはアメリカのジャズまで、当時の音楽的な流れに強い影響を受け、あらゆる要素を採り入れながら、一方で日本人という彼のアイデンティティが秘められています。

今回の大澤壽人の作品の演奏に際しても、関西フィルの楽員の方々や事務局の方々が非常に積極的に取り組んでいることが、本当に素晴らしいことだと思います。確かにこのようなことは、精神的にも技術的にも大変な集中とエネルギーを必要とすることであり、なかなか実現するチャンスには恵まれにくいのです。

日本人であると同時にコスモポリタンである大澤壽人が、いかに魅力的な創造活動をしていたか。彼が早世してしまったことが残念でなりません。
私は、彼のスコアを紐解くとき、つねに、当時の作曲家の夢と秘密を解き明かしていく、特別な興奮にとらわれるのです。

 
飯守泰次郎


 
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