メッセージ:2011年7月〜9月  

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ぐんまアマチュアオーケストラ
サマーフェスティバル2011(8/14)によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日8/14、群馬県太田市の「ぐんまアマチュアオーケストラ サマーフェスティバル2011」のコンサートがいよいよ本番を迎えます。
私はもう10年以上、ここで音楽監督を務めております。太田に来るといつも、客演というよりは「帰って来た」と感じがします。ホームベースに戻ってきたような気がするのです。

このフェスティバルは、市独自の教育機関である「おおた芸術学校」が中心となっていることが特徴です。オーケストラの奏者も9割が10代のアマチュア・プレーヤーで、そこに大人も加わって共演します。もちろん、毎年少しずつメンバーは入れ替わりますが、これまでにベートーヴェンの交響曲第5番、6番、9番、チャイコフスキーの第4番、5番、6番、ブラームスの第1番、第2番、ドヴォルジャークの第8番、9番、さらにはリムスキー=コレウサコフの「シェヘラザード」など、かなり大規模な曲も含めて多くの作品を演奏してまいりました。

そして今年は、ブラームスの交響曲第4番に挑戦します。若い人たちにとって、ブラームスの円熟した交響曲である第4番を演奏することは、決して簡単なことではありません。オーケストラの中には、10歳にも満たない小学生もいます。小さな子供たちがブラームスの第4番に取り組む姿は、とてもほほえましいものです。この3日間の集中練習の手ごたえから、とても良いコンサートになると感じております。

ここ太田市は、清水市長が若い人たちの教育に熱心で、おおた芸術学校の存在をはじめとする芸術の分野はもちろん、スポーツ、英語教育など、文化の発展に大変情熱を注いでおられます。
サマーフェスティバルも例年、事務局をはじめボランティアの方々も多く参加され、エネルギーに満ちています。太田は暑さが厳しいことでも知られており、今年の暑さはまたさらに格別ですが、それを吹き飛ばすような活気が溢れているのです。

 
飯守泰次郎

 

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「真夏の第九 こうとう2011」(8/6)によせて
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日8/6は、ティアラこうとうの“真夏の第九 こうとう2011”を指揮します。

この「真夏の第九」は今年で2年目を迎え、進歩しつつあることを嬉しく思います。初回にあたる昨年は、とても良いコンサートでした。第九を歌うときに、難曲であるからこそ良い発声が大事である、ということを証明できた演奏だったと思います。日本では年末に演奏されることが多い第九に、真夏の季節に取り組むことにより、この作品の価値を改めて新鮮に感じることができる、ということもあったように思います。
今年はその道をさらに先に進むということで、初回が素晴らしかったことによるプレッシャーもありますが、明日がとても楽しみです。

「ティアラこうとう真夏の第九合唱団」は、昨年同様に無理のない発声で美しい新鮮な響きを目指しています。団員の方々も2年目ということで経験を重ねていますので、期待しています。今年は、宮城県と福島県で被災されて地元で第九を歌うことができない方々が8名、一緒に参加してくださいます。

ソリストは、日比野幸さん、金子美香さん、与儀巧さん、萩原潤さんをお迎えします。いずれもとてもお若いながら、すでに第九の経験を十分に積み、しかも瑞々しい生き生きとした声で私たちを魅了してくださる方々です。

オーケストラは東京シティ・フィルです。今回は、ティアラこうとうの優れた響きにあわせ、ベーレンライター版を使用して古楽器的な表現で演奏します。したがってオーケストラの配置も、ファースト・ヴァイオリンが左側(下手側)、セカンド・ヴァイオリンが右側(上手側)、チェロとコントラバスも左という対抗配置です。なお、先日まで取り組んでいたマルケヴィチ版は、第九では倍管(管楽器の人数を倍にする)など響きが重厚なので、どちらかといえば大きなホールに向いているのです。ホールの個性に合わせた響きの違いをお楽しみいただければと思います。

 
飯守泰次郎

 

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ザ・シンフォニカ
創立25周年記念第50回定期演奏会(7/31)に向けて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。7月31日は、ザ・シンフォニカの創立25周年記念第50回定期演奏会を指揮します。ザ・シンフォニカは、2004年にベルリオーズの幻想交響曲をメインとするプログラムで初めて共演してからずっとお付き合いしている、私もとても信頼しているオーケストラのひとつです。

一般に、どうも私はドイツ・ロマン派をレパートリーとしているイメージで見られがちですが、ザ・シンフォニカとの初共演では、プーランクの「牝鹿」とプロコフィエフの「キージェ中尉」、そして幻想交響曲というプログラムで、とても良い出会いであったと思います。そして2006年にはマーラーの交響曲第7番でご一緒し、今年で3回目の共演となります。

今回はマーラーの交響曲第5番をメインとして、前半にはワーグナーの歌劇「ローエングリン」からの抜粋を3曲という、ザ・シンフォニカの強い意気込みを感じさせる野心的なプログラムです。これまで重ねてきたリハーサルの中でも、団員の方々の集中力と溢れる意欲を感じており、マーラーの7番を演奏したときの興奮が彷彿として蘇ってくる気がします。
マーラーはもちろんドイツ系、ゲルマン系の音楽ではありますが、以前に共演した幻想交響曲でベルリオーズの自由奔放な表現を経験したことも、マーラーの音楽を表現する上で今回のコンサートの良い土台となっています。私とオーケストラがお互いを理解する上で、これまでの共演の積み重ねが活きていると思います。

ザ・シンフォニカは、音楽的な意味でも、またマネジメントという側面からも、非常に運営がしっかりしている印象を受けています。団員全員が、ごく自然に音楽を創る喜びを共有していることが感じられます。演奏する仲間同士も迎えられる指揮者である私も皆が“ムジツィーレン”(ドイツ語で「音楽を創造する」というような意味)することに専念できるように、良い雰囲気を作ろうと努力していることが感じられるのです。
練習時間中はもちろんのこと、練習の前後においても、お互いに、また私に対してもさりげなく気を遣って、できるだけ良い条件で皆が音楽に集中できるように濃やかに気を配っていることが伝わってきます。自由に音楽できる環境がきちんと作り出されているので、私は伸び伸びと音楽に集中できるのです。
もちろんオーケストラというものには厳しい規律を伴う側面もありますが、規律ばかりが厳しすぎてもよくありません。ザ・シンフォニカは、自由を残しつつ、創造的な方向に向けた厳しさが良い意味で徹底しており、バランスがとれていることが素晴らしいと思います。

毎回のリハーサルのたびに、オーケストラの表現力がどんどん変化し豊かになっていくことに、私自身も大変驚いております。皆さんの意気込みが素晴らしいとはいえ、プログラムとしては非常に難しい選曲ですが、この暑さにもかかわらず意欲的に練習を重ねてまいりましたので、25周年と第50回という記念にふさわしいコンサートになる予感がしております。

 
飯守泰次郎

 

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ワグネル・ソサィエティーOBオーケストラ
70回記念定期演奏会(7/18によせて
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日7月18日は、横浜みなとみらいホールでワグネル・ソサィエティーOBオーケストラの第70回記念定期演奏会を指揮します。

このオーケストラは、若い人から非常に経験の長い人まで、色々な世代が集まっています。さまざまな個性を持つメンバーが共に演奏するということが、非常に豊かで多彩な表現力をもたらしています。
プログラムは、ワーグナーの後期の作品から「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲 、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と“愛の死”、そして「ニーベルングの指環」の4つの楽劇からそれぞれ1曲、という非常に意欲的なものです。このような難しいプログラムを選んだ勇気を讃えたいと思います。
ユニークで雰囲気も明るいオーケストラなので、暑い中、響きの厚いワーグナーの音楽も、きっと素晴らしい演奏ができると思います。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第247回定期演奏会(7/13)
創立35周年記念ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ〜
マルケヴィチ版
最終回にあたって
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。最終回が延期となっておりました東京シティ・フィル創立35周年記念ベートーヴェン交響曲全曲シリーズは、いよいよ明後日7月13日の公演で締めくくることになりました。以下の文章は、当初公演予定の際にプログラムに寄せて執筆したものです。7/13公演当日に配布されるプログラムに掲載されますが、ホームページをご覧の皆様にぜひお読みいただきたいと思います。

***

「マルケヴィチ版最終回にあたって」

(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第247回定期演奏会〜2011/7/13開催公演プログラムに掲載)

マルケヴィチ版によるベートーヴェン交響曲全曲シリーズは、いよいよ今回で最終回を迎えます。ここまで聴衆及び関係者の皆様から力強いご支援と熱い共感を得る事が出来、大変嬉しく思うと同時に、応援して下さった皆々様に厚くお礼を申し上げる次第です。

私たちがマルケヴィチ版をとりあげた理由について、改めて繰り返すことは致しませんが、これまでご説明してきた内容を東京シティ・フィルのホームページからお読みいただけます。ご興味があればぜひご覧ください。

マルケヴィチ版の使用について
マルケヴィチ版の背景と意義
マルケヴィチ版の特徴について
マルケヴィチ版の第九交響曲について

マルケヴィチ版のボウイングについて

マルケヴィチ版の具体的な特徴として、これまで、スタッカートの音の長さ、ダイナミクス、 テンポ、フレージング、 ボウイング、リピートなどの問題を指摘してまいりました。今回は特にボウイング(弓使い)について触れておきたいと思います。込み入った分野なので紙面での説明は難しい面もありますが、概略だけでもお伝えしたいと思います。マルケヴィチ版のボウイングは、
−使う弓の量ができるだけ多いように考えられている事 (もちろんダイナミクスによる影響は考慮されています)
−上げ弓(アップ・ボウ)の使用が多い事
−弓先の使用が多い事
−弓があまり弦から離れない(飛び跳ねない)事
が特徴です。数多くのケースから、2つの例を挙げてみたいと思います。 上の段がマルケヴィチの指定、下の段が現在一般的に行われている弓使いです。

▼ 譜例1、2(第5番第1楽章)

一般的に言って、現在行われているボウイングは合理性と能率が優先され、演奏技術上ある程度パターン化されている傾向があります。 これらのボウイングは演奏者が身につけやすく、練習のまとまりが早いという結果を生んでいると思います。

一方、マルケヴィチ版のボウイングは、現代の演奏者が身につけているパターンに当てはまらないところが少なからずあり、ともすると時代遅れでやや弾きにくい、という感じを持たれる可能性があります。 しかし、音楽の表現に多様性をもたらすことにおいては、マルケヴィチ版の方が優れているように、私は思います。 総じて、マルケヴィチ版は、オーケストラの機能性よりも表現力に訴えるボウイングであるといえます。

こうした往年のボウイングを、マルケヴィチが復活させようとしたことは、非常に価値ある試みであると思います。 このようなボウイングで演奏するには特別な集中と練習が必要ですが、私はやはり時間をかけて取り組む価値があると考えるのです。

第3回でご説明したスタッカートの種類に関するマルケヴィチ版の細かい指定や、上記のようなボウイングの違いは、聴いていてすぐわかることではありません。 しかし、このような細かな違いが、マルケヴィチ版独特の響きと表現の豊かさを与えるのです。そして、音楽の歌う要素が強調され、演奏が雄弁になるという結果をもたらすと私は考えております。

マルケヴィチの洞察の鋭さ

最後に、ベートーヴェンの音楽に対するマルケヴィチの感覚の鋭さ、洞察の深さを示す例をお伝えしたいと思います。 すでに交響曲第2番に、のちの第九交響曲と非常に似通った音楽的発想が数多く現れている、という事実です。ベートーヴェンが、「第九」第4楽章の“歓喜の歌”のアイディアを20年以上も温め続けたことはよく知られていますが、実際には「第九」の音楽的なアイディアが他にも第2交響曲の中から数多く発見できることを、マルケヴィチは指摘しています。 このうち3つの例を以下に挙げます。

譜例a-1(第九第4楽章) とa-2(第2番第4楽章)

〜第九の第4楽章の有名な主題と、第2交響曲第4楽章の一部分です。 音の高さは異なりますが、同じニ長調で、音の動きがほぼ同じであることがわかります。


▼ 譜例b-1(第九第1楽章冒頭) とb-2(第2番第1楽章導入部)

〜第九の第1楽章冒頭のTutti部分、第2番は第1楽章導入部のクライマックスです。 共通して、複符点の下降音型を用いています。


▼ 譜例c-1(第九第2楽章Trio) と c-2(第2番第3楽章Trio)

〜第九の第2楽章と第2番の第3楽章の、ともにトリオ(中間部)の部分です。 調性も、音域も、ぐるぐると同じところを回るような旋律も、共通しています。


このように、ベートーヴェンの交響曲を毎年演奏している私たち演奏家もなかなか気づかないような数多くの事実を、マルケヴィチが大変鋭く指摘していることに驚かされます。 彼はこの他にも、ベートーヴェンの交響曲だけでなくピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲などから、あるいはハイドン、モーツァルトからアルバン・ベルクに至るまで極めて幅広い範囲から、様々な例を挙げています。 マルケヴィチが、ベートーヴェンの音楽に対し、いかに創造的な感覚と探究心を持っていたか、という証といえるでしょう。

マルケヴィチ版について興味深い数々の事実は、紙面ではとてもお伝えしきれませんが、私たちは、これまでの4回の演奏を通じて、マルケヴィチ版の力を借りることによって、ベートーヴェンの交響曲の内容が持つ普遍的な価値に、また一歩近づくことができたという気が致しております。 その集大成として、今回、第2番と第5番を演奏致します。

 
飯守泰次郎

 

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関西フィル第231回定期(7/8)
〜ブルックナー・ツィクルス第1夜〜によせて
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。いよいよ明日、関西フィルとのブルックナー・ツィクルスが開幕いたします。9つの交響曲全曲と第0番ニ短調を1年に1曲、という辛抱強い、そして思い切った試みです(そして場合によっては第00番とも呼ばれるヘ短調の交響曲も含めることになるかもしれません)。明日はその第1夜として交響曲第1番ハ短調をとりあげます。

ブルックナー交響曲第1番のリハーサル
ブルックナー交響曲第1番のリハーサル

私が関西フィルと共演するようになって20年が経ちました。その半分にあたる10年間、常任指揮者の任にあり、多くのレパートリーを共に積み重ねてきた結果として、ブルックナーに継続して取り組む機が熟したと考え、勇気を振り絞ることを決意致しました。

ブルックナーの作品は過去の名指揮者による数々の名演が残され、また現在も多くの名演が行われている状況にあります。こうした中でツィクルスを行うことは、決してたやすいことではなく、非常に重い責任が伴うことも覚悟しております。関西フィルと私のこれまでの経験を一層深め、聴いてくださる皆様に、今後さらに関西フィルが発展していくことをご納得いただけるような演奏ができれば、こんな嬉しいことはありません。

ブルックナーは、交響曲第1番を書く前に、ヘ短調の交響曲と、第0番ニ短調という2つの交響曲を書いています。しかし第1番はやはり、「第1番と呼ぶべき交響曲に取り組む」というブルックナーの大変強い決意を感じさせます。
この作品におけるブルックナーは、1つの交響曲を完成させるという意味でまだ苦しみ、格闘していることが伝わってきます。ベートーヴェンでいえば序曲「レオノーレ」第2番と第3番の違いを思い起こしていただければと思います。序曲「レオノーレ」第3番の完成度が明らかに高いのに対し、序曲の第2番は、全く同じテーマを扱いながらもベートーヴェンがまだ創造の過程にあることがありありと感じられる作品です。
同様にブルックナーの交響曲第1番も、ブルックナーの創造の過程をうかがわせるところがあり、深い意味での模索が表れています。それだけに、演奏する側には作品に対する深い理解と、かなりの負担が求められます。完全にできあがった作品を再現する演奏とはまた異なり、ブルックナーの創造過程を共に歩むような独特な困難があるのです。さらに、ブルックナーの創作上の格闘だけでなくハ短調という調性の性格もあって、“戦い”を感じさせる作品です。

第1番に続く交響曲第2番も、同様に特に深い理解を必要とする作品です。第3番以降になると完成度が非常に高くなり、むしろ演奏するのは容易になる面もあります。
ブルックナーの創造過程の神髄をお客様に感じていただけるように、私たちは練習に励んでおります。

ヴァイオリン松田理奈さんとのリハーサル
ヴァイオリン松田理奈さんとのリハーサル

さて、プログラムの前半には、池辺晋一郎さんの「悲しみの森」と、ブルッフのヴァイオリン協奏曲という、非常にユニークな組み合わせをお送りします。

「悲しみの森」は、もちろん前衛的な現代曲の最先端を行く作品ですが、題名からも想像されるように、実際に聴くと、自然、森のざわめき、風、空気、光……を感じさせる、素晴らしい曲です。

ブルッフのヴァイオリン協奏曲では、まだお若い松田理奈さんをソリストにお迎えします。この作品はいうまでもなく非常に聴きやすく、すべての聴衆に愛される名曲です。ヴィルトオジティ(名人芸)とロマン派の美しさが見事なバランスで作曲されていて、しかも内容の深い、申し分のない協奏曲です。明日は松田理奈さんが素晴らしい演奏をしてくださると期待しています。
皆様、ザ・シンフォニーホールでお会いしましょう!

 
飯守泰次郎

 

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学習院OBブラームス合唱団
第17回定期演奏会(7/3)によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日7/3は、昨年に引き続き、学習院OBブラームス合唱団の定期演奏会を指揮します。今年もオーケストラは東京シティ・フィルで、曲目はモーツァルトの「戴冠ミサ」とデュリュフレの「レクイエム」です。

この合唱団は意欲的で、昨年もオルフの「カルミナ・ブラーナ」とメンデルスゾーンの「詩篇42番」というプログラムでした。一般的な合唱団では「カルミナ・ブラーナ」1曲のみで十分というところを、全く性格の異なる「詩篇42番」を組み合わせて取り上げたのです。
今年も、「戴冠ミサ」とデュリュフレ「レクイエム」という、普通はなかなか思い浮かばないプログラムの作り方ですが、これがとても素晴らしい組み合わせです。性格の異なる2曲を、合唱団は演奏することができ、お客様にも楽しんでいただけます。
ソリストは4人とも若手の優秀な方々で、毎回のリハーサルでも素晴らしい能力を発揮してくださっていますので、本番でその成果を示してくれると思います。

モーツァルトの「戴冠ミサ」は、改めて解説するまでもない、とてもよく知られている名曲です。演奏時間はあまり長くないにもかかわらず与える印象は大変強く、ハ長調でとても明るいミサ曲であり、モーツァルトの作品の中でも抜きんでた存在ではないかと思います。

一方のデュリュフレ「レクイエム」は、それほど知られていない曲をあえて選んだともいえますが、素晴らしい音楽です。練習すればするほど、この曲の虜になります。1947年に書かれたオラトリオ(教会音楽)で、作品としては近現代の作り方がされていますが、響きの美しさと音楽の中身の純粋さは、教会というより修道院から聞こえてくるかのようです。これほど純粋にカトリック的な響きを持つ作品は珍しいのではないかと思います。

作曲年代も音楽のキャラクターも全く異なる2曲を、実際に練習して本番まで持っていくのは、練習時間においても、またそれぞれの曲への集中度においても、並々ならぬ努力が必要ですが、明日はお客様にとても楽しんでいただけると思います。初台へ、ぜひ皆様のお越しをお待ちしております。

 
飯守泰次郎

 
 
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