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このフェスティバルは、市独自の教育機関である「おおた芸術学校」が中心となっていることが特徴です。オーケストラの奏者も9割が10代のアマチュア・プレーヤーで、そこに大人も加わって共演します。もちろん、毎年少しずつメンバーは入れ替わりますが、これまでにベートーヴェンの交響曲第5番、6番、9番、チャイコフスキーの第4番、5番、6番、ブラームスの第1番、第2番、ドヴォルジャークの第8番、9番、さらにはリムスキー=コレウサコフの「シェヘラザード」など、かなり大規模な曲も含めて多くの作品を演奏してまいりました。 そして今年は、ブラームスの交響曲第4番に挑戦します。若い人たちにとって、ブラームスの円熟した交響曲である第4番を演奏することは、決して簡単なことではありません。オーケストラの中には、10歳にも満たない小学生もいます。小さな子供たちがブラームスの第4番に取り組む姿は、とてもほほえましいものです。この3日間の集中練習の手ごたえから、とても良いコンサートになると感じております。 ここ太田市は、清水市長が若い人たちの教育に熱心で、おおた芸術学校の存在をはじめとする芸術の分野はもちろん、スポーツ、英語教育など、文化の発展に大変情熱を注いでおられます。 |
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飯守泰次郎 |
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この「真夏の第九」は今年で2年目を迎え、進歩しつつあることを嬉しく思います。初回にあたる昨年は、とても良いコンサートでした。第九を歌うときに、難曲であるからこそ良い発声が大事である、ということを証明できた演奏だったと思います。日本では年末に演奏されることが多い第九に、真夏の季節に取り組むことにより、この作品の価値を改めて新鮮に感じることができる、ということもあったように思います。
「ティアラこうとう真夏の第九合唱団」は、昨年同様に無理のない発声で美しい新鮮な響きを目指しています。団員の方々も2年目ということで経験を重ねていますので、期待しています。今年は、宮城県と福島県で被災されて地元で第九を歌うことができない方々が8名、一緒に参加してくださいます。 ソリストは、日比野幸さん、金子美香さん、与儀巧さん、萩原潤さんをお迎えします。いずれもとてもお若いながら、すでに第九の経験を十分に積み、しかも瑞々しい生き生きとした声で私たちを魅了してくださる方々です。 オーケストラは東京シティ・フィルです。今回は、ティアラこうとうの優れた響きにあわせ、ベーレンライター版を使用して古楽器的な表現で演奏します。したがってオーケストラの配置も、ファースト・ヴァイオリンが左側(下手側)、セカンド・ヴァイオリンが右側(上手側)、チェロとコントラバスも左という対抗配置です。なお、先日まで取り組んでいたマルケヴィチ版は、第九では倍管(管楽器の人数を倍にする)など響きが重厚なので、どちらかといえば大きなホールに向いているのです。ホールの個性に合わせた響きの違いをお楽しみいただければと思います。 |
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飯守泰次郎 |
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一般に、どうも私はドイツ・ロマン派をレパートリーとしているイメージで見られがちですが、ザ・シンフォニカとの初共演では、プーランクの「牝鹿」とプロコフィエフの「キージェ中尉」、そして幻想交響曲というプログラムで、とても良い出会いであったと思います。そして2006年にはマーラーの交響曲第7番でご一緒し、今年で3回目の共演となります。 今回はマーラーの交響曲第5番をメインとして、前半にはワーグナーの歌劇「ローエングリン」からの抜粋を3曲という、ザ・シンフォニカの強い意気込みを感じさせる野心的なプログラムです。これまで重ねてきたリハーサルの中でも、団員の方々の集中力と溢れる意欲を感じており、マーラーの7番を演奏したときの興奮が彷彿として蘇ってくる気がします。 ザ・シンフォニカは、音楽的な意味でも、またマネジメントという側面からも、非常に運営がしっかりしている印象を受けています。団員全員が、ごく自然に音楽を創る喜びを共有していることが感じられます。演奏する仲間同士も迎えられる指揮者である私も皆が“ムジツィーレン”(ドイツ語で「音楽を創造する」というような意味)することに専念できるように、良い雰囲気を作ろうと努力していることが感じられるのです。 毎回のリハーサルのたびに、オーケストラの表現力がどんどん変化し豊かになっていくことに、私自身も大変驚いております。皆さんの意気込みが素晴らしいとはいえ、プログラムとしては非常に難しい選曲ですが、この暑さにもかかわらず意欲的に練習を重ねてまいりましたので、25周年と第50回という記念にふさわしいコンサートになる予感がしております。 |
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飯守泰次郎 |
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飯守泰次郎 |
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*** 私たちがマルケヴィチ版をとりあげた理由について、改めて繰り返すことは致しませんが、これまでご説明してきた内容を東京シティ・フィルのホームページからお読みいただけます。ご興味があればぜひご覧ください。 マルケヴィチ版の使用について
マルケヴィチ版のボウイングについて ▼ 譜例1、2(第5番第1楽章) 一般的に言って、現在行われているボウイングは合理性と能率が優先され、演奏技術上ある程度パターン化されている傾向があります。 これらのボウイングは演奏者が身につけやすく、練習のまとまりが早いという結果を生んでいると思います。 一方、マルケヴィチ版のボウイングは、現代の演奏者が身につけているパターンに当てはまらないところが少なからずあり、ともすると時代遅れでやや弾きにくい、という感じを持たれる可能性があります。 しかし、音楽の表現に多様性をもたらすことにおいては、マルケヴィチ版の方が優れているように、私は思います。 総じて、マルケヴィチ版は、オーケストラの機能性よりも表現力に訴えるボウイングであるといえます。 こうした往年のボウイングを、マルケヴィチが復活させようとしたことは、非常に価値ある試みであると思います。 このようなボウイングで演奏するには特別な集中と練習が必要ですが、私はやはり時間をかけて取り組む価値があると考えるのです。 第3回でご説明したスタッカートの種類に関するマルケヴィチ版の細かい指定や、上記のようなボウイングの違いは、聴いていてすぐわかることではありません。 しかし、このような細かな違いが、マルケヴィチ版独特の響きと表現の豊かさを与えるのです。そして、音楽の歌う要素が強調され、演奏が雄弁になるという結果をもたらすと私は考えております。 マルケヴィチの洞察の鋭さ ▼ 譜例a-1(第九第4楽章) とa-2(第2番第4楽章) ▼ 譜例b-1(第九第1楽章冒頭) とb-2(第2番第1楽章導入部) ▼ 譜例c-1(第九第2楽章Trio) と c-2(第2番第3楽章Trio) このように、ベートーヴェンの交響曲を毎年演奏している私たち演奏家もなかなか気づかないような数多くの事実を、マルケヴィチが大変鋭く指摘していることに驚かされます。 彼はこの他にも、ベートーヴェンの交響曲だけでなくピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲などから、あるいはハイドン、モーツァルトからアルバン・ベルクに至るまで極めて幅広い範囲から、様々な例を挙げています。 マルケヴィチが、ベートーヴェンの音楽に対し、いかに創造的な感覚と探究心を持っていたか、という証といえるでしょう。 マルケヴィチ版について興味深い数々の事実は、紙面ではとてもお伝えしきれませんが、私たちは、これまでの4回の演奏を通じて、マルケヴィチ版の力を借りることによって、ベートーヴェンの交響曲の内容が持つ普遍的な価値に、また一歩近づくことができたという気が致しております。 その集大成として、今回、第2番と第5番を演奏致します。 |
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飯守泰次郎 |
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私が関西フィルと共演するようになって20年が経ちました。その半分にあたる10年間、常任指揮者の任にあり、多くのレパートリーを共に積み重ねてきた結果として、ブルックナーに継続して取り組む機が熟したと考え、勇気を振り絞ることを決意致しました。 ブルックナーは、交響曲第1番を書く前に、ヘ短調の交響曲と、第0番ニ短調という2つの交響曲を書いています。しかし第1番はやはり、「第1番と呼ぶべき交響曲に取り組む」というブルックナーの大変強い決意を感じさせます。 第1番に続く交響曲第2番も、同様に特に深い理解を必要とする作品です。第3番以降になると完成度が非常に高くなり、むしろ演奏するのは容易になる面もあります。
さて、プログラムの前半には、池辺晋一郎さんの「悲しみの森」と、ブルッフのヴァイオリン協奏曲という、非常にユニークな組み合わせをお送りします。 「悲しみの森」は、もちろん前衛的な現代曲の最先端を行く作品ですが、題名からも想像されるように、実際に聴くと、自然、森のざわめき、風、空気、光……を感じさせる、素晴らしい曲です。 |
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飯守泰次郎 |
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この合唱団は意欲的で、昨年もオルフの「カルミナ・ブラーナ」とメンデルスゾーンの「詩篇42番」というプログラムでした。一般的な合唱団では「カルミナ・ブラーナ」1曲のみで十分というところを、全く性格の異なる「詩篇42番」を組み合わせて取り上げたのです。 モーツァルトの「戴冠ミサ」は、改めて解説するまでもない、とてもよく知られている名曲です。演奏時間はあまり長くないにもかかわらず与える印象は大変強く、ハ長調でとても明るいミサ曲であり、モーツァルトの作品の中でも抜きんでた存在ではないかと思います。 一方のデュリュフレ「レクイエム」は、それほど知られていない曲をあえて選んだともいえますが、素晴らしい音楽です。練習すればするほど、この曲の虜になります。1947年に書かれたオラトリオ(教会音楽)で、作品としては近現代の作り方がされていますが、響きの美しさと音楽の中身の純粋さは、教会というより修道院から聞こえてくるかのようです。これほど純粋にカトリック的な響きを持つ作品は珍しいのではないかと思います。 作曲年代も音楽のキャラクターも全く異なる2曲を、実際に練習して本番まで持っていくのは、練習時間においても、またそれぞれの曲への集中度においても、並々ならぬ努力が必要ですが、明日はお客様にとても楽しんでいただけると思います。初台へ、ぜひ皆様のお越しをお待ちしております。 |
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飯守泰次郎 |
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