メッセージ:2012年4月〜6月  

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新国立劇場オペラ部門芸術参与就任(2012年9月〜)決定のご報告
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。突然ですが、来たる9月より、新国立劇場オペラ部門芸術参与に就任することになりましたので、ホームページをご覧の皆様にご報告いたします。芸術参与の任期は2年間(2012年9月〜2014年8月)で、この間に様々な準備を重ね、2014年9月より、現在の尾高忠明オペラ部門芸術監督の次の、第6代オペラ部門芸術監督として就任する予定です。オペラ部門芸術監督としての私の任期は4年間(2014年9月〜2018年8月)の予定です。

このような大役を、しかも私のような年齢になって仰せつかることは、全く予想もしていないことで、これほど驚いたことはありません。私はこれまで、ただひたすらに演奏の現場に賭けてきた者であり、新国立劇場のような大きな組織に関わった経験がありません。今年から、これまで10年以上の長きにわたって常任指揮者を務めてきた東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団でも関西フィルハーモニー管弦楽団でも桂冠名誉指揮者という立場になり、これからは多少は時間的な余裕のある生活を送るものと思っていた矢先のことで、お引き受けしてもご期待に応えることができるのか、非常に難しい判断を余儀なくされました。

しかし、理事会の皆様の熱意と、実績豊かで優秀な新国立劇場運営財団のスタッフの皆様のお力を信じて、私がこれまでヨーロッパのオペラハウスで積み重ねてきた音楽家としての経験でお役に立てるならば、と思い切ってお引き受けする決断をした次第です。

これまで通り、国内の各オーケストラ、演奏団体への客演を行いながら、2014年のオペラ部門芸術監督就任に向けて、各方面のお力をお借りして準備をしてまいります。詳しいことは、また順次お伝えしてまいります。いつも応援してくださる皆様に、改めて深い感謝を捧げ、今後もどうか温かく見守ってくださいますようお願いします。

飯守泰次郎

 

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関西フィルハーモニー管弦楽団 第239回定期
(オペラ演奏会形式上演シリーズ第12回)
『ワルキューレ』第3幕(6/14)に向けて〜その2〜

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日は関西フィル第239回定期演奏会です。 『ワルキューレ』第3幕に先立つプログラム前半では、ワーグナーの歌劇『ローエングリン』から3曲をお送りします。

まず「第1幕への前奏曲」では、聖杯の騎士ローエングリンが天上から地上に降りてきて、そしてまた天上に帰ってしまうという、オペラ全体の状況が凝縮されています。この宗教的なほんの数分間に、オペラの内容がすべて集約されているだけに、その純粋な音楽を芸術的に真に表現することは、大変な困難を伴います。

2曲めは、第2幕のフィナーレにあたる「エルザの大聖堂への入場」の場面の音楽をお送りします。これも非常に宗教性の高い音楽です。幸せの中にあるエルザとその人柄が表現され、エルザを敬愛し祝福するブラバントの人々の喜びに満ちた音楽です。

うってかわって「第3幕への前奏曲」は、ローエングリンとエルザの婚礼を祝う音楽で、これほど活気のある祭典的な曲は他にはないのではないかとさえ思います。

関西フィルとは、つい半月ほど前にブルックナーの交響曲第2番を演奏しました。ワーグナーとブルックナーは、同じ後期ロマン派というだけでなく、オーケストラのサウンドが非常に似通っています。そういう意味でも、先日のブルックナーの経験が、今回のワーグナーのコンサートにも非常に良い影響を与えていることを感じています。

昨日ご案内したプログラム後半の『ワルキューレ』第3幕も、全編が名場面の連続です。前半に演奏する『ローエングリン』の3曲と合わせ、ワーグナーの中でも名曲中の名曲を集めたコンサートであり、必ずお楽しみいただけると思います。ザ・シンフォニーホールでお会いしましょう!

飯守泰次郎

 

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関西フィルハーモニー管弦楽団 第239回定期
(オペラ演奏会形式上演シリーズ第12回)
『ワルキューレ』第3幕(6/14)に向けて〜その1〜

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。関西フィル第239回定期『ワルキューレ第3幕』に向けて、連日リハーサル中です。

関西フィルとの演奏会形式によるオペラ上演シリーズは、ワーグナーに取り組んで4年目になります。『ワルキューレ』第1幕(2009年)、『トリスタンとイゾルデ』第2幕(2010年)、『ジークフリート』第1幕(2011年)に続き、今年は『ワルキューレ』第3幕を演奏します。関西フィルもワーグナーの楽劇に慣れてきた手ごたえを感じております。

ピアノも使ってライトモティーフなどを確認
ピアノも使ってライトモティーフなどを確認

ソリスト陣は、今回も、度重なる共演でお互いに深く理解し合える方々です。
ブリュンヒルデの畑田弘美さんは、愛する父親ヴォータンの本心を知って彼を助けるべく取った行動が、彼の意志に逆らう結果となってしまう、という複雑な役柄の持つ葛藤を、深く掘り下げて表現してくださいます。
ヴォータンの片桐直樹さんは、非常にドラマティックでありながらも、愛娘を罰しなければならない矛盾と悲しみをこらえる父親であり神々の長である、という役柄を感動的に表現してくださいます。
悲劇的なジークリンデが、ジークフリートを身ごもっていると知った喜びの叫びを、雑賀美可さんが見事に歌ってくださいます。
8人のワルキューレは、オーディションで選ばれた大変優秀な方々が出演してくださいます。

8人のワルキューレが揃って歌合わせ
8人のワルキューレが揃って歌合わせ

この第3幕は、いわゆる「ワルキューレの騎行」の場面(第1場)から始まります。8人のワルキューレにブリュンヒルデが加わるこのアンサンブルは、大変込み入っていて、技術的にも至難ですが、とてもよくまとまりつつあります。
第2場では怒り狂うヴォータンが与える恐怖、第3場では父と娘の長い会話と最後の別れ、そして「魔の炎の音楽」による幕切れ、と、この『ワルキューレ』第3幕は全編すべてがききどころといっても過言ではないほどの名場面の連続です。きっと皆様にお楽しみいただけると思います。

プログラムの前半に演奏する『ローエングリン』からの3曲については、また明日お伝えしたいと思います。

飯守泰次郎

 

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東京アカデミッシェ・カペレ
「さまよえるオランダ人(全曲・演奏会形式)」公演を終えて〜2012年6月〜

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。先日の東京アカデミッシェ・カペレ第43回演奏会『さまよえるオランダ人(全曲・演奏会形式)』(6/10)は、おかげさまで非常に良い演奏ができました。

『オランダ人』は、ヨーロッパでは何度も指揮した懐かしい作品ですが、国内で全曲を指揮するのは初めてで、私も久しぶりでした。
それにしても、東京アカデミッシェ・カペレの皆さんは、本当によくやってくださったと思います。長い練習期間の中で、あまりに私が厳し過ぎる、と感じることもあったに違いありませんが、それでも音を上げることなく、最後まで歯を食いしばってついて来てくださいました。合唱の皆さんに至っては、練習で本当にいったい何回歌わせたかわからないほどでした。
その甲斐あってか、2時間半の通し上演の本番でも、皆さんの集中力が切れることがありませんでした。

本番に至る間には身を削るような思いもありましたが、その苦労も素晴らしい音楽によって救われる、ということを改めて実感いたしました。
ご来場くださった皆様、ホームページをご覧くださっている皆様はじめ、応援してくださるすべての皆様に、改めて御礼を申し上げます。

飯守泰次郎

 

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東京アカデミッシェ・カペレ第43回演奏会
「さまよえるオランダ人(全曲・演奏会形式)」 (6/10)によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。6/10は、東京アカデミッシェ・カペレとともにワーグナーの『さまよえるオランダ人』全曲を、演奏会形式で上演いたします。

東京アカデミッシェ・カペレは、合唱とオーケストラが一緒に演奏する曲を毎回取り上げ、レパートリーとして積み重ねている大変ユニークな団体で、今回で4回目の共演になります。
これまで2000年に『ローエングリン』、2007年に『ニュルンベルクのマイスタージンガー』と、ハイライトではありますがワーグナーの楽劇を演奏したほか、2003年には『カヴァレリア・ルスティカーナ』も演奏しました。
ドイツ的なオペラと、非常にイタリア的なオペラの両方を経験してきましたので、今回は、オペラとしてもワーグナーの作品としても独特な魅力のある『さまよえるオランダ人』を全曲上演いたします。

『さまよえるオランダ人』は、ワーグナーが自身のスタイルを打ち出した最初のオペラです。初期の作品ではありますが、彼の一生がすでにここに投影されているといえます。
『オランダ人』特有の風と波と嵐がリアルに描かれたスコアは、まさに天才の表現であり、それだけに演奏する側にとっては大変に難しい作品です。

東京アカデミッシェ・カペレは、非常に良く団結している合唱と力のあるオーケストラが一体となっており、積み重ねたワーグナーの経験を生かして、素晴らしい演奏ができると思います。

ソリストにも大変豪華な顔ぶれが揃っています。大沼徹さんは、非常に立派な歌唱で、オランダ人という大役を堂々とこなしてくださいます。並河寿美さんは、パラノイア的な要素も含む少女ゼンタという難役を、若々しく溌剌と歌ってくださいます。小鉄和広さんは、非常に厚みのある声で、温かい父親の役を演じてくださいます。エリックの片寄純也さんは、ワーグナー作品のテノールに非常に適した迫力のある声の持ち主です。高野二郎さんは、とても生き生きとした舵手です。マリーの小川明子さんは、素晴らしいアルトの声をお持ちで、もう少し出番の多い役も歌っていただきたいと思うほどです。
いずれも非常に優秀な方々で、今回初役の方々もいらっしゃるのですが到底初めてとは思えない見事さです。私も大変期待しております。

ワーグナーは『さまよえるオランダ人』を何度も改訂しており、スコアについて複雑な問題があります。今回は、バイロイトでも多く演奏されている、全3幕を続けて上演する版を使用いたします。休憩なしで約2時間半通しという演奏時間は、かなり長い、ということを覚悟していただかなくてはなりませんが、この作品独特の素晴らしさを堪能していただけることと思います。
皆様のお越しを、すみだトリフォニーホールでお待ちしています。

飯守泰次郎

 

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関西フィルハーモニー管弦楽団 第238回定期(5/25)
〜ブルックナー・ツィクルス第2夜〜によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。関西フィルと昨年から開始しているブルックナー・ツィクルスでは、9つの交響曲全曲と第0番ニ短調の計10曲を、1年に1曲ずつ、順番に演奏します。明日5/25はその第2夜で、交響曲第2番ハ短調をとりあげます。

この交響曲第2番は非常に魅力のある作品であると同時に、ブルックナーが最も苦労していることが感じられる作品でもあります。

楽譜の確認をひとつひとつ積み重ねて
楽譜の確認をひとつひとつ積み重ねて

創造過程の困難による度重なる改訂のために、版による相違も大きくなり、例えばハース版とノヴァーク版は演奏時間が約10分違います。
今回、私は、ブルックナーの意思に最もかなっていると考えてノヴァーク版を使用致します。しかし、ノヴァーク版の中にも色々な違いがあるので、リハーサルを通して改めてブルックナーの創造過程をたどりながら、カットの採否やテンポのありかたなど、最も良い方向で全体をまとめるように決断をしていくことを積み重ねています。その大変な難しさは、スリルさえ感じるほどです。

この交響曲第2番のハ短調という調性は、悲劇的で、Klagen(嘆き)の要素を持っています。その一方、対極的な温かさも感じられる、ブルックナー自身の心の温かさと信仰心が表れた作品であるともいえます。教会のオルガニストをしていた彼が非常に敬虔な信者であったことは重要ですが、この作品の温かみは、カトリック的というより、むしろブルックナーの心の中の信仰のありかたが非常に個人的に表現されていることによるとも感じられます。

交響曲第2番は、第1番と第3番の間にあって知名度があまり高くなく、演奏される機会もめったにありません。このような作品の奥底まで分け入って演奏できることは、オーケストラにとっても私にとっても、大変やりがいのあることです。関西フィルとは、これまで第1番、3番、4番、7番を演奏してきましたので、ブルックナーのサウンドを理解してよい響きを出すことができます。今回を含め、ブルックナーのレパートリーを共に深めていけることは、大きな喜びです。

「戴冠式」〜津田裕也さんとのリハーサル
「戴冠式」〜津田裕也さんとのリハーサル

プログラムの前半では、若く実力のある津田裕也さんをお迎えして、新鮮で軽やかなモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」を演奏します。ブルックナーととても良い組み合わせになっていると思います。

ブルックナーの交響曲に向き合うたびに、思うことがあります。ブルックナーの演奏について、すでに歴代の巨匠によってあらゆる歴史が築かれている現在、その演奏史に1ページを加えようとか、何か新しいことで聴衆を驚かせようといった野心は、全くありません。
ただ、宇宙的ともいえるブルックナーの偉大な作品の演奏を重ねて聴衆の皆様にお伝えしていく、ということの責任感を感じるのみです。私たちがそれぞれの時代の中で、偉大な作品を演奏し続けていく、そのことに大きな意味があると思っております。

昨年の交響曲第1番(ツィクルス第1回)の演奏は、非常によい反響をいただきましたので、続いて第2番も、きっと良い演奏を積み重ねていけると思います。ぜひ、ザ・シンフォニーホールでお会いしましょう。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル ブルックナー交響曲ツィクルス第1回
〜交響曲第4番(第259回定期演奏会 5/16)に向けて その2

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飯守泰次郎です。東京シティ・フィルとのブルックナー交響曲ツィクルスの第1回(5/16)に向けてリハーサルに集中しております。

先日4/24に「ブルックナーを語る」と題して行ったレクチャーでお話ししたことの一部を、ここでも少しお伝えしたいと思います。

ブルックナーの肖像画を、他の、たとえばメンデルスゾーン、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーなどといった大作曲家の肖像と比べてみると、大きな違いがあります。
真の芸術家として創造活動が最高峰に到達した人物というものは、やはりそのことが容貌にも表れるものです。しかしブルックナーは、他の作曲家のような洗練とはほど遠く、非常に素朴で質素で、むしろ修道僧のようでさえあります。左右の足に違う靴をはいて出かけても気づかなかった、というようなエピソードも数多くあります。
いわゆる貴族的なサロンや批評家、世間一般とコンタクトを取りながら作曲家として成長していく、という過程を、ブルックナーは経ることがなかったのです。

ブルックナーが突如として交響曲を書き始めたのは、40歳を過ぎてからです。その時点では、彼が後期ロマン派の中でも最も重要な作曲家の一人になるとは、誰も想像していませんでした。

オルガニストであった頃の彼は、特に即興演奏の素晴らしさで人々を感動に導く一方、初見(初めて見た楽譜をその場で演奏すること)を大変苦手としていました。
大作曲家ならば普通は誰でも優れた初見の能力を備えているものですが、このエピソードもまた、ブルックナーの特性をよく表していると私は思います。初見ができるということは、他人が書いた楽譜にスッと入っていける、ということです。
しかしブルックナーは一生を通じて、自分の作り出す音楽にとりつかれていたのです。初見ができない、という作曲家としての欠点をものともしないほど強固な何かを、彼は内面の奥底に蓄えていたために、あのような巨大な交響曲を次々と書くことができたのだと思います。

リハーサル風景
リハーサル風景

ブルックナーは、弟子や演奏家に批判されると、くよくよと気にして、作品を改訂してしまうことが多くありました。
たとえば「曲が長すぎる」と言われて改訂し、その結果さらに長くなってしまう、ということもありました。

しかし、さまざまな改訂を行いながらも、彼の内面は自分も意識していないくらい不動で強固で、彼の奥底にある音楽は不変だったのだと思います。その奥底にあるのが、彼の信仰です。大変敬虔なカトリック信者であった彼の信仰が、彼自身も気づかないところで、いつか宇宙につながっていったのだと思います。

宇宙に通じる偉大な音楽を、最初に完成したのはバッハです。そして、そのような音楽のありかたは、ブルックナーをもって終焉した、と私には思われてなりません。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル ブルックナー交響曲ツィクルス第1回
〜交響曲第4番(第259回定期演奏会 5/16)に向けて その1

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飯守泰次郎です。いよいよ、東京シティ・フィルとのブルックナー交響曲ツィクルスの第1回(5/16)が近づいてまいりました。このツィクルスは毎年1回ずつ、まず今年は交響曲第4番から始め、そして第5番、第7番、第8番、第9番という順で演奏してまいります。

今回の演奏会プログラムに掲載される私の文章の一部を、以下に転載いたします。
これから、リハーサルの様子なども随時お伝えしていければと思います。

ブルックナー交響曲ツィクルスに寄せて
〜東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第259回定期演奏会(2012/5/16)公演プログラムに掲載予定・一部抜粋〜

国内外の巨匠による数々の圧倒的な演奏の歴史によって、ブルックナーの交響曲の絶対的価値は打ち立てられており、日本にも非常に数多くのブルックナー・ファンの方々が存在します。私たちは、その確立された世界に何かを加えようという野心を持つことは全くなく、ただひたすらにこの偉大な人類の遺産を、いまの私たちの時代の中で演奏し続けていくべきであると思うのみです。

ブルックナーの音楽の根本には、私たちの想像をはるかに超える彼の信仰があります。俗世との関係においては晩年に至っても子供のようであった彼は、自分自身も気づかないところで長い間に創造のエネルギーを蓄えるうちに、宇宙的ともいえる音楽に到達したのです。オーケストラという巨大な楽器が奏でる音楽の中には、極端に言えば、この世が創造されて以来の宇宙、自然、人類の歴史のすべてが含まれている、と私は思うのです。

この東京シティ・フィルと私の、これからのブルックナー交響曲ツィクルスが、聴衆の皆様と共に、すばらしい「果てしなき旅」となりますよう、願ってやみません。

飯守泰次郎

 

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新交響楽団第217回演奏会(4/30)によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。4/30は、新交響楽団の第217回演奏会でマーラーの「大地の歌」を指揮します。コンサートの前半には伊福部昭「交響譚詩」とイベール「祝典序曲」を組み合わせるという、特別な思い入れのあるプログラムです。

ご存知の通りマーラーは、李白などの唐詩に基づきドイツ人のベートゲが編んだテキストを歌詞として取り上げて、この交響曲を作曲しました。順番からいえばマーラーの9番目の交響曲ですが、彼は「大地の歌」という、交響曲とは思えないようなタイトルをつけました。 マーラーは、ベートーヴェンとブルックナーがともに、第9交響曲の後に世を去ったことを非常に気にしていたのです。「第9番」を避けて「大地の歌」と名付け、その次の交響曲を第9番としたのですが、やはり彼は第10番を完成することはできずに世を去りました。

「大地の歌」は、歌を深く愛したマーラーの性格が非常によく表れています。歌曲であり、そして交響曲であるという、マーラーの両方の魅力が合わさっている特別な魅力を持つ作品といえます。深い内容と特別な魅力を持つと同時に、演奏するうえでも特別の困難を伴う曲なのです。
ソリストは、福原寿美枝さんと福井敬さんです。お二人とも、この作品のソリストとして望みうる最高の方々だと思います。

今回のプログラムは、全体が“東洋”に支配されていることが特徴的だと思います。伊福部作品はもちろんのこと、イベール「祝典序曲」も、日本の“皇紀2600年”を記念して委嘱され東京で1940年に初演された作品です。
しかし「祝典序曲」は、名曲でありながら演奏される回数は決して多くありません。「祝典序曲」というタイトルですが、いわばオーケストラのためのトッカータのような性格を持っており、非常に効果的な書法で作曲されています。おそらく、日本や東洋の旋律を直接的に採り入れるような形は取っていないために、あまり演奏されていないのかもしれません。

「交響譚詩」は、いうまでもなく、他の伊福部作品と同様、民族のアイデンティティーを全面に押し出した、大変エネルギッシュな名曲です。

さらにこのプログラムは、「交響譚詩」がイ短調、「祝典序曲」がハ長調、「大地の歌」はイ短調で始まってハ長調で締めくくられる、というように調性におけるひとつの統一がはかられています。新響がいかにこのプログラムを組むのに腐心したか、ここからも感じられます。

新響は大変優秀なオーケストラです。共演も長年に及んでいますが、今回はまた新響の特別な集中力が感じられるコンサートになりそうです。とても楽しみです。

飯守泰次郎

 
 
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