記事:2017年
     

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記事:読売新聞2017年10月12日夕刊
神々の黄昏(新国立劇場)〜幕引き惜しい総仕上げ
−松平あかね

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新国立劇場の新シーズンが開幕。3年にわたって上演してきたワーグナー「ニーベルングの指環」も総仕上げ、「神々の黄昏」(開場20周年記念公演)である。

演出は故ゲッツ・フリードリヒ。かつての先鋭だけにいっそう郷愁をそそると初年度には感じたが、すっかり慣れた。むしろ音楽に集中できるのがありがたい。

優れた歌い手が揃うが、なかでも英雄ジークフリート役ステファン・グールドはさすがの貫禄である。最重量の声を 求められる上に途中で人格が変わる難役だが 、聴き手に心配をさせないどころの話ではない。彼は人を 圧倒する強靭な声から、くぐもった声色までを駆使して役を彫琢してゆく。

さらに忘れらないのはヴァルトラウテ役ヴァルトラウト・ マイヤーである。全身から湧き上がる感情、発する言葉の重み。彼女には格別のオーラがあり、一瞬たりとも目が離せない。

とくに神々の世界の凋落ぶりをブリュンヒルデ(ぺトラ・ラング)に語り、指環を返すよう懇願する場面。彼女は「いまいちど、これを最後に大神の微笑が見られるはず」とやっとの思いで絞り出す。心揺さぶられずにいられぬ声風(こわぶり)だったが、そこには何か執念のごとき複雑な感情も絡みついているように思われた。

とはいえ屋台骨は指揮の飯守泰次郎である。彼は序幕幕切れの異様な高揚ぶりをはじめ、思い切って管弦楽(読売日本交響楽団)を追いこみ、すみずみまで悲劇を浸透させてゆく。

そして大詰め。全てを飲みつくした音楽から霧が晴れる瞬間、筆者はこの長大な物語の幕引きが惜しいような心持ちがしたのだった。

(音楽評論家 松平あかね)
――1日。14日、17日も上演。


 
 
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