記事:2021年
     

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記事:毎日新聞2021年6月20日付朝刊文化面「新・コンサートを読む」
飯守泰次郎指揮 《ニーベルングの指環》 神秘性を取り戻す
−梅津時比古(毎日新聞 特別編集委員)− .

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ワーグナーの序夜付き3部作の楽劇《「ニーベルングの指環》(リング)は、ドイツ・バイロイト音楽祭などでは、上演する際に1週間を充てている。

飯守泰次郎指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団がドイツで活躍する歌手などを招きリングのハイライト特別演奏会をコンサート形式で行った(5月16日、東京文化会館)。4時間半の長丁場も、全体上演に比べれば、いかに大胆な抜粋であるか分かる。

リングはドイツや北欧の神話を基に、哲学、神学、社会学、美学など、あらゆる人間の知的、精神的営みを投入した総合芸術である。今回は演出も付かず、その世界の表出は難しいと危惧していた。

全くの杞憂であった。ハイライト版の場合、どこを選ぶかによって伝えるものは変わる。飯守はおそらく筋だてや解釈よりも、音楽的な耳で選んだのだろう。神秘的な響きに焦点を合わせていた。冒頭、地の底から湧きいでるようにコントラバスの低音が聞こえ始め、やがて弦が増えさまざまに音が加わってゆく様は、ワーグナー自身が語る通り世界の始原に聞こえる。3人のラインの乙女(増田のり子、金子美香、中島郁子)が不思議な指環について語る前に世界の神秘が刻印されている。

劇中、主人公のジークフリート(シュテファン・グールド)をめぐる親子の情愛、兄妹と知らずに愛し合う禁断の恋、醜い権力闘争、復讐劇など人間の欲望、喜怒哀楽が渦巻くが、飯守は大胆にカットする。ここで気づいたのは、ワーグナーの音楽はすべてが密接に絡み合っており、省かれたところもその匂いは残っていることであった。

飯守が取り上げたのは、神々のヴァルハラへの入城、神々の長・ヴォータン(トマス・コニエチュニー)と娘のブリュンヒルデ(ダニエラ・ケーラー)の別れ、ジークフリートと養父ミーメ(高橋淳)による剣の鍛造、ジークフリートとブリュンヒルデの出会い、ハーゲン(妻屋秀和)によるジークフリートの殺害、最後にブリュンヒルデの自己犠牲などである。それを炎の音楽(管弦楽)、森のささやき(同)などが包み込む。

切り取り、突き詰めることによって表れたのは、私たちを包む安易に理解することのできない世界の神秘性であった。それは人間の卑小な存在を浮かび上がらせ、すべてを解明できるはずと思いがちな私たちの理性への信頼をゆるがせる。それ故に、反対に、人間への愛おしさも極まる。ジークフリートの葬送行進曲では、一人の青年の惨死を嘆いてまるで地球全体が身を震わすように東京シティ・フィルが音の涙をしたたらせていた。

オンラインに満ちた現代において死が軽く感じられるのは、私たちが世界の神秘を見失っていたからだと思いが至る。短いシークエンスでそれが伝わってきたのは、新型コロナウイルス感染対策の隔離を経て来日した歌手たちの奥深い声、長期にわたる飯守のバイロイトでの研さん、マスクをして歌う合唱団の熱意、緊急対策に振り回された関係者の尽力が一体となったからに違いない。

昨今の解釈過多のリングと異なり、世界の重みを演奏の内に引き起こす公演であった。

 
 

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記事:読売新聞2021年5月20日付夕刊
「ニーベルングの指環」ハイライト特別演奏会
静かな気迫 傘寿・飯守の指揮

−松平あかね− .

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読売新聞2021年5月20日 夕刊
読売新聞 2021年5月20日 夕刊

指揮者人生を凝縮した演奏会といって過言ではないだろう。飯守泰次郎の傘寿記念・ワーグナー「ニーベルングの指環」ハイライト特別公演のこと。上演に4日を要する楽劇を演奏会形式で正味3時間半に詰め込んだ贅沢な企画である。開演前の金管ファンファーレや復元したシュティーア・ホルン(雄牛の角笛の意を持つ管楽器)の使用に至るまでこだわりも満載、合唱まで付く。この緊急事態宣言下で実現したのが夢のようだ。

これほど華やかな場でも弛緩することのない飯守の静かな気迫たるや。そして思考との格闘の末に取りだしたビジョンを管弦楽(東京シティ・フィル)が誠実に汲み取ろうとする過程には、時に生々しい実感が伴う。岩を登っては滑り落ちるアルベリヒの苦痛(『ラインの黄金』)も、耳を撫でる森のざわめき(『ジークフリート』)も、いまどきの直感的でスマートな演奏気質では決して表出できまい。

歌手陣も妻屋秀和(ハーゲン)や高橋淳(ミーメ)をはじめ死角なし。海外から弩級のワーグナー歌手が集結したのも奇跡的だ。演技巧者のトマス・コニエチュニーがアルベリヒなど複数役を歌い分ければ、ブリュンヒルデ役のダニエラ・ケーラー=写真手前左=は管弦楽をゆうに乗り越え、大詰めの「ブリュンヒルデの自己犠牲」(『神々の黄昏』)まで高貴な美声を大砲のように放ってゆく。

そしてジークフリート役シュテファン・グールド=写真手前右=。途方もなく強靭なのに包み込むような温かい声だから「怖れを、物覚えが悪くて忘れてしまった」(『ジークフリート』)と、はにかんだだけで、えもいわれぬ魅力が表れる。人間の根源的な力みなぎるその声が、コロナ禍で鈍った生の感覚を呼び戻してくれる気がした。その点でも飯守の音楽と深いところで照応していたのである。

(音楽評論家 松平あかね)

16日、上野・東京文化会館。

 
 

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記事:朝日新聞2021年5月20日付夕刊
飯守泰次郎&東京シティ・フィル「ニーベルングの指環」
全身ワーグナー、圧巻の魔術

−片山杜秀− .

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東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が、桂冠(けいかん)名誉指揮者でワーグナーを十八番とする飯守泰次郎の傘寿を記念し、「ニーベルングの指環」ハイライト特別演奏会を挙行した。約15時間を要する4部作から3時間強をコンサート形式で聴く(16日、東京文化会館)。

指揮台上の巨匠はもう全身ワーグナー。あらゆる身ぶりが情念の引力を操って、巨大な楽劇を構築するライトモチーフの旋律ひとつひとつの隅々にまで血を通わせ、潮の満ち引きのような果てしないうねりを音楽に与え続ける。

いや、うねりと言うよりも、もつれだ。飯守の指揮はタテの線をスッキリ示すことがない。両手を不断にもつれさせ、微妙にずれてはこすれ合う複数のテンポを表してしまう。オーケストラはその魔術に魅入られ、ワーグナーならではの蔦(つた)の絡まり鬱蒼(うっそう)とした響きの森を現出させる。

圧巻は「ジークフリート」の第3幕第3場の長丁場。飯守はまさに三昧(さんまい)の境地でワーグナーに没頭して時を熟成させ、大蓮華(れんげ)の開花するような音楽の法悦境を導いた。もちろんオペラだから歌手が大事。ジークフリート役のシュテファン・グールドのどこまでも伸びて輝く声と、ブリュンヒルデ役のダニエラ・ケーラーの象が踏んでも壊れないほどの強靱(きょうじん)な声との交歓が、飯守の掌上でエクスタシーに達する。李白なら「陶然共忘機」と謳(うた)うところだ。心地よすぎて、すべてを忘れた。

ヴォータン等の役でトマス・コニエチュニーも花を添えた。これだけの歌手が東京に集ったのも、指揮者の人徳、いや、実力ゆえだろう。かくもワーグナーらしいワーグナーを、今や飯守以外の世界の誰が振れるというのか。


(片山杜秀・音楽評論家)

 
 
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